語りの場

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昔話を寝話ということからもわかるように、寝床の中で多くの話を聞かせてもらったという人もいる。幼い子どもたちを寝かしつける役目は、たいてい祖母であった。話を聞く場は、ほかにも囲炉裏端(いろりばた)でよなべ仕事をしながらとか、風呂に入れてもらったときなどもあったが、桃太郎やかちかち山のようなお伽話を聞くのは寝床の中が多かったようである。
 しかし、昔であっても、どの家にも祖父母が同居していたわけではなく、家族は仕事に忙しくて子どもに話を聞かせる暇はなかったという家も多かった。
 家族以外から話を聞くのは、メカイ作りや炭焼きなどの共同作業のときであった。メカイは、多摩市域周辺の特産品であり、農閑期の重要な仕事であった。家族だけではなく、近所の人と共同で行うこともあった。子どもも、小学校の三年生くらいになると簡単な作業の手伝いをした。大人たちは、作業にあきないように狐に化かされた話やおもしろいひとくち話を聞かせてくれたという。
 また、小学校の修身の時間に先生から話を聞くこともあった。イソップ物語の羊飼いが「狼が来た」と嘘をつく話は、多くの人が記憶している。家族からはあまり話を聞くことはなかったが、小学校の先生から桃太郎などの話を聞かせてもらったという人もいる。
 ムラの外の者から話を聞くこともあった。日野市の程久保(ほどくぼ)に伝わる生まれ変わりの話は、いくつかの書物にも取り上げられた話であるが、由木(八王子市)の親戚から小さいときに聞かされたという人もいる。ほかに、戦争中に、軍隊で、同じ部隊の人から話を聞いたという人もいた。
 ムラを訪れる芸人や行商人の中にも、話を伝える者がいた。残念ながら彼らから聞いたまとまった昔話は伝えられてはいないが、このような来訪者は、芸を見せたり物を売ったりするばかりではなく、さまざまな情報も持ってきた。遠方から来る薬売りや魚屋などから聞くちょっとした世間話も人々を楽しませた。落合地区の中組では、正月にくる三河万歳(みかわまんざい)と種籾(たねもみ)の交換をしていた家があり、その家では、交換してもらった種籾を「三河」とか「万歳糯(もち)」とよんでいたという。