囲炉裏端での昔話

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南野地区の萩生田常一氏は大正四年生まれであるが、慶応元年(一八六五)生まれの祖母エツや安政三年(一八五六)生まれの祖父茂七から毎晩のように話を聞いて育った。南野地区の萩生田氏の家の近くにはいつも瞽女(ごぜ)の泊まる家があって、そこにもよく話を聞きにいったという。祖母は、孫たちから「イイバア(よい婆)」と慕われ、たいへん話上手であった。孫たちも何度も聞かされているうちに話を覚えてしまい、祖父や祖母のほうが間違えてしまうと「違ってるよ」と直したり、話し手が先に眠ってしまうと「次はここからだよ」と教えたりしたこともあった。
 同じ南野地区の大正四年生まれの萩生田定一氏の曾祖母(そうそぼ)は弘化元年(一八四四)生まれであり、やはり話上手であって、実家である小野路の宿(しゅく)(町田市)の代官の取り調べの話のような実際に見聞きした話を聞かせてくれたという。
 常一氏や定一氏が話を聞いたのは、多くは囲炉裏端でメカイを作りながらだった。自分の祖父母以外からも、近所の話の上手な人のいる家へ篠竹を持っていって、そこでメカイを作りながら話を聞いたり、養蚕の繭かきの手伝いに行って話を聞かせてもらったりしたという。
 萩生田常一氏が伝えている話には、世間話もあるが、昔話が完全な形で伝えられていることが注目される。しかし、ほかの話者と同じように、萩生田氏も、自分自身は多くの話を聞いて育ったが、自分が語り手となることはなかったという。自身が話を伝えはじめたのは、昭和六十年代からであって、自分で話を残しておこうと思い、祖母から聞いた通りに原稿用紙に書き始めたのである。その中の「炭焼き小屋」は『ふるさと多摩』二号に掲載されている。