人々が昔話をはじめさまざまな話を伝えてきたのは、口伝えによるものであった。しかし、現在、このようにして話を聞いて育った人々は、語ることではなく、書くことによって、昔話を伝えはじめている。
ここでは、大正生まれの伝承者を紹介したが、『多摩市の民俗(口承文芸)』の調査のときには、明治三十年代生まれから昭和十年代生まれの方と幅広い年代の方から話を伺っている。明治生まれであっても昔話を家族から聞いた経験のない方もいるし、昭和生まれであっても昔話を知っている方もあって、年齢の差よりも家ごとの差が大きい。
たくさんの話を聞いて育った方たちが、語り手となる機会を逸してしまった原因の一つに社会環境の変化が考えられる。大正生まれの人たちが子どもを育てた時代は、戦争が激しさを増し、昔話どころではなかったという。また、囲炉裏端でのメカイ作りのときには昔話に代わってラジオがつけられ、話をねだられるようなこともなくなってしまった。
このような人々が、昔のことを伝え始める昭和五十年代とは多摩市ではどういう時代であったろうか。ちょうど昭和四十年代後半から始まった多摩ニュータウン建設が軌道にのり、古い家は取り壊され、新しい町が形作られてきた。そのようなときに、すっかり変わってしまったふるさとを何らかの形で後世に伝えたいと思った人々が書いて伝えるということを始めたのである。
もちろん、これらの伝承者たちが書くものは、地域に伝えられているさまざまな話や年中行事、思い出など多岐にわたる。昔話は思い出すのに時間がかかり、別なことを書いているうちに昔話を思い出したり、少しずつ思い出しては書き足すこともあるという。
伝承者が子どものころに話してくれた語り手は、母親や祖母、曾祖母というように女性が多かったのであるが、現代の伝承者は男性が多い。調査では女性の方からも話を伺ってはいるが、昔話をよく知っていて話すことのできる人に会うことはできなかった。世間話はぽつぽつと話せても、昔話を思い出して人に話すというのは難しいようであった。