横浜開港のころ、炭の仲買いをしていた者が、馬に炭をつけて小野路を抜けて横浜へ行った。その帰り、オシ沼まできたら、娘がいて「池の中へ下駄を落としたので拾ってくれ」という。そこで馬をつなぎ、下駄を拾ってやろうとしたら、そこは池ではなく、実は笹藪であった。当人は池のつもりで下駄を探していたのだが、よその人がみると笹藪の中を「おお深い、おお深い」と探っていたのだという。その人は、それからハミを二つ持っていくことにした。狐が女に化けるので、今度会ったらハミでなぐってしまおうということだ。
(落合 男 大正生まれ)
この話は、話者が祖父から聞いた話である。ハミとは馬の口にはめる輪のことをいう。祖父の友人が「ひとつっぱなし」として祖父たちによく聞かせた話であるという。
オシ沼は、小山田から現在の鶴牧(つるまき)四丁目にかけての地域をさす。ここには、火打ち池とよばれた三角形の池があったという。このあたりは、ニュータウン開発以前は、泥の深い田や沼が多かった。小野路に向かう登り坂になっており、あたり一帯は雑木が茂り、昼間でも暗かった。沼の土手には相生の老松があって、この松を回ると鬼が出るといったという。小野路を回って横浜へ行く道であり、絹や炭を運ぶ馬が通った。このほかにも、馬子(まご)が茶店の美しい娘に引き止められ、目がさめたら金品は取られて木の切り株に座っていたという話も伝えられている。
狐が島田に結った美しい女性に化けた話は多く、ほかにも、「ご祝儀のときに狐が嫁さんに化けてきた(貝取 男 明治生まれ)」「寄り合いの帰りにいい女が『寄ってかないかよ、寄ってかないかよ』と誘った(南野 男 大正生まれ)」などの話がある。
小野路と貝取地区の境あたりに狐が住んでいて、よく女の人に化けたというが、あるとき鉄砲で撃たれ、片足が不自由になってしまった。しかし、それからも化けて出ることがあり、何に化けても片足を引きずっていた。それでビッコ狐とよんだという。