ある人が、結婚式の帰りに折り詰めを持って歩いていた。それを持っていたものだから、ばかされてしまった。一晩中、「おお深い、おお深い」と一生懸命歩いて、朝、気がついたら、菜の花のきれいに咲いた畑だった。川ではなくて。
(関戸 女 明治生まれ)
狐にばかされた話の中で、道に迷って同じ所をぐるぐると歩き回った話は多い。その中で、水の中を歩いているような錯覚を起こし「おお深い、おお深い」と着物の裾(すそ)をまくって歩いたような話がいくつも伝えられている。この話は、花の咲いた菜の花畑であったが、そのほか、「関戸のあたりの水田で、秋の収穫のころ、女の人が『深い、深い。怖くて渡れない、おぶってくれ』と言った(貝取 男 大正生まれ)」というように、稲穂が波打つ状態を川の水が逆巻くように錯覚した話がある。「オシ沼の娘」の話もだまされた馬子は笹藪を川と錯覚したという。同じようにオシ沼よりも上の山の中で笹藪の中を「おお深え、おお深え」と歩いていた話もある。
また、小さな小川を激流と錯覚した話もある。話者が曾祖母から聞いた話だという。
おれのひいばあさんのとっつぁまが、夜、帰ってきた。帰ってきたら、前がすごい川になってしまった。目の前が、大きな川で、水がゴッゴッ流れている。弱ったな、こりゃどうしちゃったんだろうと思い、ひとしきり立って考えていた。そのうちに、いつも自分のたんぼの脇にある土橋が見え、狐にばかされていたことに気づいたという。
(南野 男 大正生まれ)
ほかに、狐にばかされて馬の糞を饅頭(まんじゅう)だと思って食べた話がある。
どこかでご祝儀によばれ、大勢がずらりと並び、饅頭が出たのでご馳走になり、酒が出たので飲んで家に帰った。翌朝、その場所に行ってみたら、墓の石塔がずうっと並んでいたのが人間に見え、饅頭は馬のクソ(糞)、酒は墓の花の水だったという。
(落合 男 大正生まれ)
ほかに、風呂に入ったら野便所だったり、お金だと思ったら木の葉だったという話も落合地区では伝えられている。
さて、関戸地区の「おお深い」の話は、結婚式の帰りに土産の折り詰めを持っていてばかにされてしまった話である。このように、狐は魚や油揚げなどのご馳走を狙うといい、「府中へ遊びに行った帰りに多摩川の川原でばかされた(連光寺)」「高幡不動のカフェの帰りばかされた(一ノ宮)」「桜ヶ丘の花見の帰りに狐にばかされて折り詰めを取られた。気がついたら、反対の方向の川原の陸橋から落ちてうなっていた(東寺方)」「魚を杖に吊して歩いていたら後から取られた(和田)」「真光寺(神奈川県川崎市麻生区)へ歳暮の鮭を持っていく途中、京王線の線路を歩いていたらばかされた(乞田)」「小野路へ歳暮の鮭を持っていこうとしたら、鮭が頭だけになっていた(貝取)」「水車へ粉挽きに行った家族を迎えに弁当を持って出かけ、途中で年寄りに会った。そのあと弁当をひろげたら中はからっぽだった(落合)」「歳暮の鮭を担いで歩いたら、狐にばかされてあっちこっち歩かされ、シッポのところが食べられていた(南野)」など、多摩市域のあちこちで似たような話が伝えられている。
狐がそばにくると「ぞくぞくした(落合)」「ボンロクドウ(ボンノクボ)が寒くなる(『わがふるさと』)」という伝承もある。狐火を見たときなど特に感じるとも伝えられている。
それでは、魚や折り詰めなど狐が狙うものを持って出かけなければいけないときには、どうすればよいだろうか。ひろく伝えられているのが、煙草(たばこ)やマッチである。「狐は煙草の煙が嫌いなので、だまされたと思ったら煙草を吸う」「煙草を吸いながら歩く」とよいという。