狐の提灯

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狐火については、「提灯(ちょうちん)がまあ、一五くらいつながっていた。それがね、提灯が後ろになったり前になったり。それ見たの、あれ確かに狐。(落合 女 明治生まれ)」という話がある。狐火は、狐の提灯、キツネッピ、狐の嫁取りなどとよばれている。正体不明の怪火であるが、人魂とは区別されており、また、ムジナや狸が上げた火とも区別して伝えられている。狐火とよばれるものは、この落合地区の「狐の提灯」の話のように、一つではなくていくつもの火がつく。その火は、左右に動いて見えたり、また、「ぱあっと灯りがついて、ほっと消えちゃってね、今度また一つ一つ、点々とっく(乞田 男 昭和生まれ)」「ポッポッポッポッとついた。そのうちにそれが消えてしまう(和田 男 明治生まれ)」というように、ついたり消えたりしたという。
 狐火は、自分の目の前につくのではない。遠方の山の中腹や土手の方に横に火が並んで見える話がほとんどである。しかし、「狐火が遠くに見えるときには、すでに足元に狐がきている(乞田、落合)」ともいう。
 狐火は、狐の話の中でも数多く伝えられており、昭和三十年代でも、多摩市域で実際に見たという人がいる。狐にばかされた話は、年長者や体験者から伝え聞いた話であるのに対し、狐火は、実際に自分が体験した話である。そのため、具体的な大きさや色、形態などを身振りを加えながら生き生きと描写する話者が多い。また、ばかされるのとは違い、集落の中や自分の家で見たという人もいる。乞田地区では風呂あがりに狐火を見、「狐だ、狐だ」と家族みんなをよんでながめた話もある。
 狐火は、静まりかえったときに見えたともいうが、幻聴をともなうものもあった。落合地区のエンショウイン跡のあたりで見たという狐火は、火の玉が動き、ガヤガヤと話し声が聞こえたという。
 狐火の話を伝えるときに多くの話者が、狐火の正体について自分の考えを付して伝えることが多い。実際に体験しているだけに、なんらかの解釈を自分なりにしている。多いのは「狐が骨をくわえて歩く。その骨のリンが光る(燃える)」という動物の骨のリンの光をあてはめるものである。これは、後で述べる火の玉や人魂の怪火にもみられる解釈である。ほかに、「狐がハッハッと息を吐きながら歩く。その吐く息が光る」という解釈もあった。