連光寺地区の大水上(おおみずあがり)は現在桜ヶ丘ゴルフ場になっているが、新田義貞の軍が相談をした所とか、村人が大切なことを決めるときに集まった所などといい、相談山とよんでいる。
和田地区の金山は、親孝行な息子が体の不自由な父親のめんどうをよくみたが、父親はとうとう亡くなってしまった。その遺体を埋めようと裏山を掘ったところ、土の中から黄金が出てきたという(『子どものための歴史の散歩道』)。また、金山某が住んでいたとか、刀鍛冶が鉄屑を捨てた所だとかとも伝えられている。
坂の名前はいずれも急坂であったことがうかがえるような名前であるが、いくつかを列挙しておく。
①コロゲット坂 関戸地区にコロゲット坂とよばれる所がある。ここは、荷車が上がれないくらい急な坂であった。先に罪人の首を切る場所があって、役人が罪人を無理に引っ張っていく姿がまるで転がるようであったのでコロゲット坂とよぶようになった。(『叢書5』)
②おばけ坂 東寺方地区の宝泉院の下の坂はおばけが出るといいおばけ坂とよんだ。また、この坂はもともとはグミの坂といったが、坂の下に住む老婆が若者を脅したため、おばけ坂とよばれるようになったという。(『叢書5』)
写真8-6 おばけ坂
また、この老婆は、身の丈六尺もあり、口が耳まで裂けており、いつも笊(ざる)に小豆をいれてといでおり、人が通ると笊を頭からかぶせて捕らえ、食べてしまったという。それでこの坂は「山の婆坂」とよんだという。(『子どものための歴史のさんぽみち』)
このような小豆をとぐ妖怪の話は関戸、貝取、南野の地区にもある。(「世間話」の項参照)
③屁っぴり坂 東寺方地区にたいへん急な坂があって、荷車を引いて登るときに力を入れたので思わず屁をしてしまうので、その名がついたという。(『叢書5』)
写真8-7 屁っぴり坂
④沓切坂 関戸地区にある急な坂道で、馬の沓がよく切れるので沓切坂とよばれた。
⑤犬の谷 落合地区唐木田に犬の谷という所があった。ここには北条氏のかくし砦(とりで)があったという。敵の攻撃が始まり、小田原へ援軍を頼むのろしを上げたが、中継点である犬の谷のかくし砦では、酒盛りをしていてのろしを中継しなかった。そのために八王子城は落城してしまったという。敵に味方する犬のような奴ということで犬のヤツ(谷)とよぶようになったという。(『落合風土記図会』)
写真8-8 犬の谷の入口(昭和55年)
⑥笛吹峠 乞田地区の吉祥院の裏山の唐沢山は、新田義貞の子、義興が鎌倉を攻めたときに笛を吹いて通ったので笛吹峠という。また、唐沢山は、俵藤太が平将門を討ちに行くときに故郷の唐沢山に似ていたので名づけたともいう。(『多摩市の町名』)