塚の伝説

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市域には、古戦場といわれている場所もあって、塚も多い。今では、塚の形をなしていないところも多いが、伝説の伝えられている塚をあげてみよう。
①ドヨウ塚 和田地区の宝蔵橋付近をドヨウ塚、ドウヨウ塚という。昔、新田義貞と北条軍の戦いのときに大勢の雑兵が戦死し、村人が数か所に埋葬した。それを雑兵塚とよんでいたのであるが、しだいにドウヨウ塚、ドヨウ塚とよばれるようになったという。(『子どものための歴史のさんぽみち』)。
 また、馬や牛などの死体を埋めた所とも伝えられている。嫁入りにこの前を通ると、花嫁がさらわれてしまうので、嫁入りには通ってはいけないという。(『叢書5』)
②六部塚 落合地区の西端、旧上小山田町に六部塚がある。これは、昔、訪ねてきた比丘尼(びくに)が母乳が出なくて困っているというので、その家の嫁が自分の乳を椀に入れて与えた。その夜、夢枕に比丘尼が現われ、もっと乳が欲しいという。不思議に思って、翌朝、辻まできてみたところ、比丘尼が阿弥陀像を抱いて死んでおり、その阿弥陀像を持ち帰り、供養をした。数十年後、六部が比丘尼を探しにきたので、訳を話し阿弥陀像を渡したが、また同じ夢を見たのでその場所へ行ってみると、六部が阿弥陀像を抱いて死んでいたという。それで村人が塚を築き、六部塚とよぶようになった。(『落合名所図会』)
③山王塚 落合地区と小山田の境に山王塚があった。ここには、僧円浄坊が、源義朝の遺骨を埋めたとも伝えられている。(『叢書7』)

写真8-9 山王塚(昭和50年)

④旗巻塚 関戸地区の旗巻(はたまき)塚は、北条氏と新田氏が戦ったときに、北条軍が旗を巻いて退却した所だという。(『多摩市の町名』)