地名のいわれ

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市域の地名には、地名の由来が伝えられているものも多い。落合地区の山王下の南は鶴牧(つるまき)という。昔、鶴を殺すと打ち首になった。山王下の人があやまって鶴を殺し(けがをした鶴を助けようとしたが死んでしまったともいう)、役人が村人を捕らえにきたが、名主の五兵衛は「図師(ずし)(町田市)の鍛冶屋へ行き、鍋のツルをうって来たので、鶴を打ったのではありません」といい、村人は助かったという。そして鶴の供養塔を建て、このあたりを鶴牧とよんだという。(『叢書5』『落合風土記図会』)

写真8-13 鶴の供養塔

 また、落合地区唐木田は、唐の滅亡のときに、阿部仲麻呂の子孫が唐王朝の王女を助け、日本に亡命し、ここで田畑を作って暮らしたという。唐から来た人たちが開いた田畑ということで唐木田というようになったという。(『唐木田物語』)
 連光寺地区の馬引沢には薬師如来を祀っている場所があった。不思議なことにそこを馬に乗った人が通ろうとすると、馬が一歩も歩かなくなるという。しかたなく、馬から降りて馬を引っ張っていくために馬引沢とよぶようになった。(『子どものための歴史のさんぽみち』)