写真8-13 鶴の供養塔
また、落合地区唐木田は、唐の滅亡のときに、阿部仲麻呂の子孫が唐王朝の王女を助け、日本に亡命し、ここで田畑を作って暮らしたという。唐から来た人たちが開いた田畑ということで唐木田というようになったという。(『唐木田物語』)
連光寺地区の馬引沢には薬師如来を祀っている場所があった。不思議なことにそこを馬に乗った人が通ろうとすると、馬が一歩も歩かなくなるという。しかたなく、馬から降りて馬を引っ張っていくために馬引沢とよぶようになった。(『子どものための歴史のさんぽみち』)
地名のいわれ