雷と雨の関係

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多摩市から見える主な山には、大山、富士山、秩父の山系がある。これらの山にかかる雲のようすや、この山の方角の雷で、天気を知ることができる。
  秩父のからなり(南野、連光寺)
これは、秩父山系の方で鳴る雷は、多摩市の方に雨をもたらさないことをいう。夏の一雨ほしいようなとき、秩父で雷が鳴っても、こちらは雨が降らない。空を見上げて「また、秩父のからなりだ」とためいきをついたという。しかし、雨は降らないのに雷が落ちることもあって用心したという。
 しかし、同じ多摩市内であっても、反対に伝えていることもある。
  御嶽山(みたけさん)の雷は来る(上乞田)
「秩父のからなり」とは正反対のことをいっている。雨が降らなくて困っているときに、御嶽山に雷が鳴ると「御獄山から出てきたぞ、頼りになるぞ」と言ったという。
 「秩父のからなり」と「御嶽山の雷は来る」を伝えている話者は、ほとんど同じ世代の方々であるのだが、受け取り方、感じ方の違いなのかもしれない。
  大山の雷についても同じように、多摩市内で反対のことが伝えられている。
  大山さまが鳴ると雨(連光寺)
  大山さまの雷は雨(南野、乞田、関戸)
  大山さまがおったったら来る(乞田)
  大山さまが来ると荒れる(乞田)
  大山の雲はいいのが出ているのだがめったに来ない(上乞田)
  南の雷は音がしても来ない(上乞田)
 秩父のからなりに対し、大山の雷は雨を降らせる。大山の方に雷が鳴ると「大山さまが出たぞ」「来るぞ」と雨を警戒した。大山の阿夫利神社(あふりじんじゃ)は雨を降らせてくれる神様として、信仰があつい。市域のコウジュウからも、かつては雨乞いに行ったこともあるという。旱魃(かんばつ)の年は、大山さまが来るようにと、よく大山の方をながめたものだという。この大山さまとは、大山からの夕立をいう。「大山の雷は来ない」というのは、大山を見ては、雨が降ってくれないかと願った心の裏返しなのかもしれない。