子守歌

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かつては、兄弟も多く、自分の弟妹の子守りをするのは当たり前のことであったという。小学生になると学校から帰れば、弟妹を負ぶって遊びに出かけるものであった。赤子は、背中で揺すられているうちに眠ってしまうことも多く、とくに子守歌を歌うこともなかったともいうが、乞田地区の明治三十九年生まれの方が次のような子守歌を二曲伝えている。
    子守歌1
  ねんねん猫のケツ 蟹が入り込んだ
  ひきずり出しても また入り込んだ
    子守歌2
  ねんねこよ ねんねこよ
  ねんねこよ ねんねこよ (適宜繰り返し)
  ねんねん 寝た子にゃ 香箱(こうばこ)七つ
  起きて泣く子にゃ 石七つ

写真8-19 木登り
男の子も女の子も上手に木に登った。この木は落合地区の三本松である。


写真8-20 凧上げ
凧の絵は桃太郎。凧は、晦日市で買ってもらった。女の子は羽子板を手にしており、一ノ宮地区の正月の風景。


写真8-21 竹馬
竹馬はタカアシともいい、冬の遊びの代表であった。大福寺(貝取地区)の地蔵の前で。


写真8-22 水遊び
子どもが手にしているのは箱めがね。水着ではなく褌姿であった。


写真8-23 男の子
重ね着をして縁側で日向ぼっこ。子どもたちはよく幼い子の子守りをしていた。


写真8-24 戦争ごっこ
竹で作った鉄砲を手に集団で戦争ごっこをしている。
昭和10年代~30年代の子どもたち