魚捕り

667 ~ 670
多摩川や大栗川、乞田川の本流ばかりではなく、家の回りを流れている小川や用水も、子どもたちの遊び場であった。小川や水田には、泥鰌(どじょう)や鰻(うなぎ)がおり、ドという竹製の籠を仕掛けて泥鰌を捕った。また、何人かで夜にドジョウブチに行くこともあった。これは、夜の暗いところにじっとしている泥鰌を針を打った棒で叩いて捕まえる方法である。泥鰌を叩く役と、灯りを持つ役が組んで出かけ泥鰌を捕った。
 鰻が遡上(そじょう)してくるのが、五月から六月のころであった。このころになると、夜、流し針を仕掛けに行った。翌朝、見ると、大きな鰻がかかっていることもあった。また、八月になると、穴釣りで鰻を捕った。穴釣りは、細い麻縄に餌のついた木綿針をつけ、篠竹につけたものである。これを鰻の潜んでいそうな穴に差し、手応えがあったら引き抜いて鰻を捕まえた。
 子どもたちが大勢で楽しんだのがカイボシであった。ケエボシともいい、渇水期に川を石や板などで堰き止めて水を掻き出し、中の魚を素手で捕まえるものである。鰻、鯰、鮒(ふな)、ハヤなどがたくさんとれたという。