落合地区山王下に粉屋踊りを伝えたのは、山王下出身の小泉丹次郎(明治五年~昭和十六年)であった。小泉丹次郎は、農家の生まれであったが、自分の田畑を耕すばかりではなく、他の家の耕作もし、お茶作りも上手というような働き者でもあった。また、木挽(こび)きもしていたが、体格がよく、ほかの木挽きの二倍の仕事をしたという。山王下の賽(さい)の神のところには三四貫目とか三六貫目といわれている力石があって、若い衆がよく力比べをしていたが、丹次郎はその力石を担ぎ、たすき返しという大技を披露したという。
若いころ、木挽き職人として千葉県あたりを歩き、そこで「白桝(しらます)粉屋」や「新川(しんかわ)」などを習い覚えたようである。帰郷後、山王下の青年たちに覚えてきた芸を教え、落合地区ばかりではなく、近隣の祭礼などにもよばれて舞台をつとめるようになった。通称コナヤというのは、「白桝粉屋」が代表的な演目であったことからこのようによばれたようである。
写真8-30 粉屋踊り伝承者・小泉丹次郎氏(後列左)