写真8-32 「いきいきTAMA」での粉屋踊り
南野地区では、荻久保平久保講中に粉屋踊りが伝えられていた。小野路の別所(町田市)から上手な人がきて教えてくれたという。明治三十年代生まれの人たちが、若いころに、かっぽれ、伊勢音頭、新川などを習ったという。戦後も、浅間神社の祭礼のときに、神社の舞台で毎年踊っていたが、伝承者が高齢となったため次第に行われなくなった。区画整理前(昭和五十年代)に復活させようと民謡の踊りを習っているグループが月に一、二回、回り番で宿になり、粉屋踊りの稽古をしていたが、民謡の踊りとは、踊り方が違い、復活にはいたらなかった。
このように、丹次郎から始まった粉屋踊りは、山王下ばかりではなく、近隣の青年たちに代々受け継がれてきた。山王下では、祭礼や婚礼はもちろん、人が集まれば、だれということはなく、茶碗を叩いて拍子をとり、粉屋踊りの歌が出たという。子どものころから慣れ親しんでいるため、正式に習っていない者でも、自然に口をついて出てきたものだという。