関戸囃子保存会

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ここでは、関戸囃子保存会を例に、新しく市域に根付いた芸能である囃子を取り上げる。関戸囃子保存会は、昭和五十一年の春に、関戸地区の青年たちによって始められた。きっかけは、前年の祭礼に貫井(ぬくい)囃子(小金井市)をよんだことであった。それがたいへん賑やかで好評であったため、関戸でも囃子を習おうという話が出、二十歳前後の青年が十五、六人集まり、関戸地区の有志を世話人に頼んで、「関戸はやし連」という集まりが誕生した。青年たちは、近隣の囃子を調べ、目黒流を習うことにし、府中囃子と貫井囃子から指導者に来てもらい、商店の二階を借りて練習を始めたのである。青年たちのほかにも子どもも加え、関戸はやし連の活動を開始した。
 当初、二トンのトラックを飾り、その上で囃子をしたが、その後、手作りの山車を作った。この山車は、使わなくなった牛車を寄贈してもらい、それを改良したものであった。はやし連の会員に若い大工や建具職人などもおり、そのときは、毎日、夜の練習のあとで山車作りをし、六か月ほどで作り上げたという。関戸地区の工務店や製材所から材木をもらったり、デパートから不要になった幕をもらったりした。この幕を縫い直して衣装や山車のたれ幕を作ったという。この山車は、昭和五十四年の祭礼から使われた。
 さて、初めのうちはなかなか技術的にもぎこちなかったというが、近隣の祭礼に出かけては腕を磨き、昭和五十五年ころからは、東京都祭囃子コンクールや全関東祭囃子コンクールに出場し、金賞を受賞するまでになった。現在、レパートリーは、屋台、鎌倉、国固め、四丁目(しちょうめ)、仁羽(にんば)となっている。地域の中でも、正月に関戸地区で門付(かどづ)けを始めるなど、祭礼以外にも活動の場をひろげていった、現在では、正月には神社での奉納をはじめ、二日の京王デパートでの売り初め、さくら祭り、地域の夏祭り、保育園の夏祭りなどの地域の行事のほか、結婚式や各種のイベントに招かれることも多い。ほかの地域の囃子連とは、大丸(稲城市)、青渭(あおい)(稲城市)、貫井(小金井市)などとの交流があって、お互いに祭礼の手伝いに行っている。
 関戸はやし連は、昭和五十二年から東京都芸能協会に加盟して活動を続けているが、平成元年、関戸囃子保存会に名称を変更した。また、平成七年には新しい山車ができたが、これは、貫井の囃子連が使っていた山車の心棒と車を譲り受け、それを土台にして国分寺市の工務店で制作したものである。また、貫井の囃子連で使う前は、国分寺市の八坂神社の山車であったもので、車はチョウナ削りの古いものである。