ドウヅキ歌の構成

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市域で収録したドウヅキ歌は、落合地区で歌われていたものであり、歌い手は落合地区の小泉昌一氏(明治四十一年生まれ)と峰㟁キン氏(明治三十七年生まれ)である。歌は、三種類あって、歌詞の構成も旋律も違う歌であるが、いずれもドウヅキ歌とよばれている。歌詞は、即興で歌うことも多く、ネドリによっても違っていたが、おおよそはここに掲載したような歌詞であったという。

写真8-39 舞台でのドウヅキ歌

 ドウヅキのはじめは、まずネドリが「ヤーレ揃ったら始めるエンヤライ」と歌い、ツナヒキが「ヨイサーヨイサーヨ エンヤライ」と囃(はや)した。「エンヤライ」と囃すときに、タコの縄を引き上げ、地面に打ち下ろした。ひとしきり歌うと、ネドリは「音頭を名指すよエンヤライ」「音頭は誰々さんにエンヤライ」と歌い、名指しをされた人が次のネドリになった。このドウヅキのはじめに歌われた歌は次のような歌詞があった。括弧の中はツナヒキが囃す部分であるが、二曲目からは省略した。
ヤーレ揃ったら始めるエンヤライ(ヨイサーヨイサーヨエンヤライ)
ヤーレ皆の衆頼むぞエンヤライ ヤーレめでたいじぎょうだエンヤライ
ヤーレ皆の衆上手だエンヤライ ヤーレこのこつはずれずエンヤライ
ヤーレずんずんめりこむエンヤライ ヤーレそこつきゃお臍(へそ)だエンヤライ
ヤーレたこめが飛び上がるエンヤライ ヤーレそろそろ固まるエンヤライ
ヤーレ音頭を名指すよエンヤライ ヤーレ音頭は誰々さんにエンヤライ

 ここでネドリが交代し、次の歌にすすむ。次の歌は、七七七五の詞型であって、まず、ネドリが「めでためでたの若松様は」と歌い、「ヨイコノサンサ」とツナヒキが囃す。続けてネドリが「庭にゃ鶴亀五葉(ごよ)の松」と歌い「ションガイナ」と囃す。ここからはツナヒキたちが最後の七五の詞をひっくり返して「五葉の松 庭にゃ鶴亀五葉の松ションガイナ ヨーホイヨーホイヨイコノサンサ」と歌う。この歌も七七七五の詞型に合わせて、ネドリがある程度自由に歌詞をつけた。七七七五が基本であるが、七七七七五七の変形の歌詞もある。
 歌詞は次のようなものであった。二曲目からは、囃子の部分は省略し、ネドリの歌う七七七五のみを記す。
めでためでたの若松様は ヨイコノサンサ
庭にゃ鶴亀五葉の松 ションガイナ
五葉の松庭にゃ鶴亀五葉の松 ションガイナ ヨーホイヨーホイヨイコノサンサ
富士のお山にちらちら見ゆる 参る道者(どうしゃ)か白鷺か
お婆どこ行きゃる三升ざる提げて 嫁の在所(ざいしょ)へ孫抱きに
伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ 尾張(おわり)名古屋は城で持つ
よい子持つのは親父の貧乏 裏へ細道をつけられた
ここのお家(いえ)はめでたいお家 鶴がご門へ巣をかけた
ここのおかみさんはいつ来てみても 銭のたすきで金量る
お婆小便しりゃ鳩めがのぞく のぞくはずだよ豆だもの
お婆小便しりゃ狸がのぞく のぞくはずだよ古穴だ
あの子はよい子だぼた餅顔で 黄粉(きなこ)つけたらさぞよかろう
さんさ鯖の鮨や押されて開く 娘島田は寝て割れる

変形の歌詞
富士の白雪朝日で溶ける ヨイコノサンサ
溶けて流れて三島に落ちる ヨイコノサンサ
三島女郎衆の化粧(けしょ)の水 ションガイナ ヨーホイヨーホイヨイコノサンサ
おらがばあさまは焼き餅が好きで ヨイコノサンサ
ゆうべ九つ今朝七つ ヨイコノサンサ
一つ残して袂(たもと)に入れて ヨイコノサンサ
馬に乗るとてすとんと落とした ヨイコノサンサ
跳ね上がれ焼き餅 飛び上がれ焼き物 ヨイコノサンサ

 次に記すのは「手休め」に歌われる歌である。囃子の「ヨーイヨイ」は省略した。
やれやれ皆様ご苦労さん(ヨーイヨイ) さぞやお手手が痛むだろう
何か手休め申しましょう めでたいことで申しましょう
めでたいことで申すなら 大黒様という人は
一に俵を踏んまえて 二ににこっと笑って
三に酒を作られて 四つ世の中よいように
五つ出雲の若恵比寿 六つ無病息災に
七つ何事ないように 八つ屋敷をふんまえて
九つ米蔵(こぐら)をおったって 十でとっくり治まった
めでたいことは数あれど あまり長いと日がたける
三つのたぐりを頼みます 三つのたぐりと申するは
よいさよいさよいさとたぐり上げ えんやらやーと落とすのだ
それが皆様ご承知か ご承知ならば取り上げな

 以上が手休めの歌であるが、普通はここに続けてドウヅキの仕上げの歌を歌う。「よいさよいさ」の繰り返しであるが、合わせてタコをつき、仕上げをした。
よよいのよいやさ さらば青空御免と取り上げな
よいさよいさよいさ よいさとな
よいさよいさよいさ よいさとな
よいさよいさよいさ よいさとな