そのため、開発事業の内容は、大きく三つに大別される。一つは新住宅市街地開発事業、二つ目は土地区画整理事業、三つ目は関連公共施設整備事業である。
一つ目の新住宅市街地開発事業とは、人家のない丘陵部中心の開発で、図9-2に示すように、これが全体の約八〇パーセントを占める。用地の全面的な買収をしたあと、宅地の造成や公園・緑地の整備、道路や上下水道の整備など、都市基盤の整備を完了させて住宅の建設にかかるというもので、東京都と住宅・都市整備公団、東京都住宅供給公社の三者がこの事業を担当した。
図9-2 市域の多摩ニュータウン事業別開発区域
基盤整備を終えたあと、そこに、東京都(住宅局)が都営住宅を建設し、住宅・都市整備公団と東京都住宅供給公社がそれぞれ分譲住宅と賃貸住宅を建設した。さらに、関係自治体が小・中学校や図書館、公民館、清掃工場など、生活環境施設の整備を行ったのである。
二つ目の土地区画整理事業とは、集落部分中心の開発である。一つ目の新住宅市街地開発事業の対象地は大部分が雑木林であったため、土地の買収後一気に作業を進めることもできたが、この土地区画整理事業の対象地は、人家や寺社があり、墓地もあり、田畑も多く、日々の生活が現に間断なく営まれている区域であるため、ことはそれほど単純ではなかった。施工は東京都が担当した。土地は買収せずに区画整理だけ行い、それが完了したあとも土地は原則として元の地主が使用したのであるが、区画整理にあたっては、ニュータウン開発計画にしたがって当然道路を拡幅したり新設したりするほか、公園・緑地も設けなければならず、各所有者の土地は減歩となった。すなわち、区画整理の作業は東京都が担当し、その代わり住民は、土地が宅地として蘇る代償として土地の一部を提供したのである。そのための公共減歩は、平均してだいたい三〇パーセントにのぼった。
この場合、区画整理中は仮住まいに耐えなければならず、また、換地の問題もあって区画整理後も全く同じ位置に住宅建設ができるとは限らず、東京都と住民との間で粘り強く話合いがつづけられた。屋敷周辺には個人墓地があったため、新たな墓地を求めての改葬作業という問題もあった。しかし、区画整理が完了するとだいたい元の場所近くに住宅を建設し、宅地に転換したかつての田畑の地に各自マンションや店舗を建てて、離農後の新たな生活が始められたのである。
三つ目の関連公共施設整備事業は、東京都が担当し、多摩ニュータウン開発区域内はもちろん、その周辺区域をも含めた道路の整備、河川改修、流域下水道の整備等々を行った。
右の三つの事業は相互に関連させつつ進められたが、一つ目の新住宅市街地開発事業と二つ目の土地区画整理事業とでは、概して前者の方が先行したといえよう。
写真9-1 建設中の永山団地