前者には、東京都(住宅局)が賃貸の都営住宅を建設し、住宅・都市整備公団と東京都住宅供給公社がそれぞれ分譲住宅と賃貸住宅を建設した。その大部分は中高層の集合住宅であるが、これらに入居した人々は、ほとんど全部が多摩市域以外から個々ばらばらに転住してきた者である。当然、市域に長年伝承されてきた諸慣習とはまったく無縁の人々で、自治会や住宅管理組合を結成するなどして、地域での今後の生活のため、新たな相互の連帯を模索することになった。
それに対して後者には、区画整理後もかつて集落を形成していた家々が住みつづけ、大部分が離農したとはいえ、かつての村落社会は継承されているといえる。社寺や小祠を中心とした行事も、時代の流れとともにいくぶん変容はしたが、依然として続けられている。また、区画整理後に宅地に転換したかつての田畑の地にはマンションやアパートなどが次々と建設された。住民の総数としてはそれらマンションやアパートに住む市域以外からの転住者の方が多くなっているとはいえ、マンションなどの所有主は在来の家々であるケースが多く、現在のところ、後者のエリアの主体は多摩ニュータウン開発以前からの住民が担っているといえよう。
右の二つのエリアは、景観的には、前者が中高層の集合住宅が整然と林立する地、後者は比較的広い宅地を持つ一戸建住宅が固まり、その周囲に思い思いの形式のマンションやアパートが建つ地となっているが、その間を広い道路が縦横に貫通し並木道が連なっているため、ニュータウン全体としては調和のとれたものとなっている。
写真9-2 中高層住宅が並ぶ諏訪団地
写真9-3 永山ハイツ近景
写真9-4 緑に囲まれた高層住宅