多摩が村だった時代の1921(大正10)年の土地利用図を見ると、丘陵部の大半は山林(緑)で、多摩川の低地と、その支流である大栗川と乞田川の谷戸には、田(青)が広がっていたことが分かります。また当時は、養蚕が盛んであったことから、大栗川沿いには、桑畑(薄緑)が広がっています。
戦後1954(昭和29)年の図を見ると、桑畑の多くは畑(黄)に変わりますが、大きな変化は見られません。その後、1960年代から多摩ニュータウンの造成が始まると、土地利用は急激に変わります。山林が切り開かれ、宅地造成された結果、1988(昭和63)年の図では、大半が市街地(灰)と化し、周辺にはゴルフ場や宅地造成中の場所も見られます。(浜田弘明)
1954(昭和29)年土地利用図
[『歴史ミュージアムガイドブック』より(建設省地理調査所2万5千分の1地形図「武蔵府中」より作成)]
1955(昭和30)年の多摩村の人口は7,600人で、その後1965(昭和40)年に人口1.8万人で町制を施行した。
1988(昭和63)年土地利用図
[『歴史ミュージアムガイドブック』より(建設省国土地理院2万5千分の1地形図「武蔵府中」より作成)]
1971(昭和46)年に人口4.2万人で市制を施行し、1988(昭和63)年には人口が136,249人に達している。