谷戸の成り立ち

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 多摩市は、奥多摩などの山間地を除けば都内でも比較的起伏に富む地域です。ニュータウン建設による大規模な造成を経た今日でも市内には多くの坂があり、谷沿いの低い土地もあれば、眺めのよい丘もあります。ニュータウン以前の多摩市は典型的な里山でした。谷戸と呼ばれる緩やかな谷沿いには水田、斜面には薪炭林や畑が広がる風景が見られました。このような地形を丘陵といい、八王子から多摩、横浜、鎌倉にかけては多摩丘陵と呼ばれています。
 多摩市周辺は50万年前頃には扇状地が広がる平坦な土地で、相模川が現在の相模原方面から流れ下っていました。その後、流路の変化や隆起により、武蔵野台地のような平坦な台地に変わりました。さらに時間が経過し、大栗川やその支流により侵食が進み、平坦な台地の地形は失われ、斜面を主とする丘陵が成立しました。谷戸を伴う里山の基となる地形の出現です。その成立までおよそ50万年の時間が費やされました。(鈴木毅彦)
造成前の谷戸の風景 1968(昭和43)年11月

造成前の谷戸の風景 1968(昭和43)年11月

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]

写真中央部の左右に伸びる黄色の部分は、乞田川沿いに広がる水田地帯。造成前の谷部と尾根部の地形がよくわかる。


造成後の風景(愛宕配水塔より) 2009(平成21)年2月

造成後の風景(愛宕配水塔より) 2009(平成21)年2月

[公益財団法人多摩市文化振興財団撮影]

写真中央部付近に残された左右の緑地は、それぞれ貝取山緑地と豊ヶ丘北公園。手前には鉄道高架が伸びる。


空から見た1961(昭和36)年の多摩センター周辺

空から見た1961(昭和36)年の多摩センター周辺

[国土地理院撮影空中写真]

多摩ニュータウン造成前の現在の多摩センター周辺には典型的な里山風景が広がっていた。
写真中の場所は、①府中カントリークラブ、②唐木田駅、③東京国際ゴルフクラブ、④多摩センター駅。


50万年前頃の地形

50万年前頃の地形

[鈴木穀彦氏原図]

多摩市が相模川の扇状地であった。