和田古墳群は、大栗川下流域の段丘面に6~7世紀にかけて営まれた地方豪族たちの墳墓です。そのうち、右岸北部に分布する塚原(つかっぱら)古墳群では、墳丘径10~19mを有する12基の円墳等が発見されています。河原石積みの横穴式石室を主体部とする4・5・6号墳からは、鉄刀(てっとう)や鉄鏃(てつぞく)など多くの武器類が出土しており、造墓集団の性格の一端がうかがえます。また、対岸には中和田横穴墓群(よこあなぼぐん)や日野市万蔵院台(まんぞういんだい)古墳群なども所在し、古代多摩における中核地域の一つでした。
塚原古墳群の近景 6~7世紀
[多摩市教育委員会所蔵]
5号墳・10号墳(左から)で、ともに円墳である。古墳は近接して構築されており、墳丘の外周には周溝をめぐらす。
塚原5号墳の石室 6世紀後半
[多摩市教育委員会所蔵]
横穴式石室の規模は全長4.7m、幅0.7mで、短冊形を呈している。石室の石材は、多摩川や大栗川の河原石を用いて構築されていた。
塚原5号墳から出土した鉄刀 6世紀後半
[多摩市教育委員会所蔵/『多摩市埋蔵文化財調査報告16』より]
横穴式石室の内部からは、鉄刀や鉄鏃などの鉄製武器類が礫床に置かれた状態で発見された。鉄刀には、長さ33㎝~101㎝の4口がある。