稲荷塚古墳は和田古墳群の南端部高所に築造された、古墳時代終末期の首長墓です。内部には、全長7m以上の胴張り形複室構造の横穴式石室を有します。1990(平成2)年~ 2018(平成30)年の周溝など外部施設の確認調査により、円墳ではなく、八角形墳の可能性が浮上しました。全国でも屈指の存在と言えます。また、古墳の特徴から、被葬者を『日本書記』の534(安閑元)年に記載された多氷の屯倉(たひ(ま)のみやけ)の経営に関わった人物とみる説もあります。1958(昭和33)年に東京都の史跡に指定されています。(松崎元樹)
稲荷塚古墳の石室 7世紀前半
[多摩市教育委員会所蔵]
玄室(後室)の奥壁中央には大形の切石が据えられ、両側の壁は円みを帯びた胴張り形態を示す。床面には拳(こぶし)大の円礫が敷かれていた。石室床からは、ベンガラ(赤色顔料)が検出された。
稲荷塚古墳の墳丘復元図
[多摩市教育委員会所蔵]
古墳の対角径を復元すると約38mで、外側の周溝には複数の稜角が確認され、八角形状を呈する。
中和田横穴墓群 7世紀
[立正大学考古学研究室所蔵]
大栗川左岸の台地斜面に14基の墓がまとまって見つかった。横穴墓は斜面をくり抜いて構築されており、塚原古墳群に次ぐ、有力な家族集団により形成された。