小野神社が創建された年代ははっきりしていませんが、755(天平勝宝7)年には朝廷から幣帛(へいはく)を受ける神社であったことが分かっており、境内からは奈良~平安時代の古瓦が見つかっています。平安時代には、武蔵国の一宮と位置づけられ、後に一ノ宮明神社と呼ばれるようになりました。
小野郷には、平安時代になると小野牧という馬牧が置かれました。931(承平元)年には毎年40頭の馬を朝廷に貢納することになっており、京に送られた馬は「駒牽(こまひき)」という儀式で天皇の前に牽き出され、左右馬寮や官人に配分されました。小野牧のあった場所は正確には分かっていませんが、小野神社の東に位置する落川・一の宮遺跡では、馬の骨や歯、馬具、焼印などが出土しており、小野牧の推定地の一つとされています。11世紀後半になると、こうした馬の生産と関わりながら小野を姓とする武士団横山党が成長していきました。(鎌倉佐保)
太政官符(複製) 772(宝亀3)年
[多摩市教育委員会所蔵/原資料 天理大学附属天理図書館所蔵]
この史料から755(天平勝宝7)年には小野神社が存在していたことが分かる。
『元暦校本万葉集 古河本』巻20(部分) 平安時代・11世紀成立
[東京国立博物館所蔵(Image: TNM Image Archives)]
奈良時代、武蔵国の防人は武蔵国府から多磨の横山を越えて筑紫へと旅だった。
『日本三代実録』 901(延喜元)年成立
[府中市郷土の森博物館所蔵/『武蔵国一之宮』より]
884(元慶8)年7月15日条。小野神の神階が従五位上から正五位上にあげられた。
小野神社境内採取瓦(4点) 奈良~平安時代
[武蔵一之宮小野神社所蔵/『武蔵国一之宮』より]
1955(昭和30)年頃境内の松の根元から出土した。
落川・一の宮遺跡出土馬具
[東京都教育委員会所蔵/『武蔵国一之宮』より]
8世紀後半頃の遺構から轡(くつわ)や馬の歯、11世紀前半と考えられる遺構から馬具・鏃などが出土した。
『政事要略』 11世紀初頭成立
[国立公文書館所蔵/『武蔵国一之宮』より]
931(承平元)年11月7日条。もとは陽成院の牧であった小野牧が勅旨牧とされた。
小野系図(『続群書類従』所収)
[国立公文書館所蔵]
横山党小野氏は小野篁に系譜を引き、義隆のとき横山に住んだことに始まると伝える。