1990(平成2)年、多摩市連光寺2-33-1他の打越山遺跡で、開発に伴い道路の形状を残す遺構の発掘調査が実施されました。その結果、延長約10mにも及ぶ、3時期の道路面が確認されました。本発掘調査は、多摩丘陵部では初めてとなる道路遺構の本格的調査、発見となり注目されました。築造年代は、最下層の道路面は、古代律令時代7世紀後半から8世紀頃、その上部の道路面は鎌倉~室町時代頃、最上層が近世と考えられます。最下層の道路は、その走行方向、規模などから推測して、古代の官道で、国分寺市などで発見されている、国史跡東山道武蔵路(とうさんどうむさしみち)の古代道と結ばれる可能性があると考えられています。そのため、武蔵国府と東海道を結ぶ、推定古代東海道連絡路とも言える見解もあります。さらに、付近に「早道場」の小字も残されていることから、鎌倉時代には、本道が鎌倉街道上道の支線、いざ鎌倉への「早ノ道」として踏襲(とうしゅう)されたと考えられます。(山﨑和巳)
東山道武蔵路と武蔵国周辺の推定古代路
左:東山道武蔵路と武蔵国周辺の推定古代路 右:打越山遺跡の位置
[東京都教育委員会編「東京都遺跡地図情報インターネット提供サービス」より引用]
[国分寺市教育委員会 2017 『古代道路を掘る』より]
完掘調査状況・最下層の古代道(南から)
[多摩市遺跡調査会 『打越山遺跡』より]
幅約9m~12mの掘割状の弧状断面形。
完掘調査状況空撮(北から)
[多摩市遺跡調査会 『打越山遺跡』より]
延長約10mにも及ぶ、古代の直線道。