鎌倉時代末の制作物

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 多摩市には遺跡以外にも鎌倉街道の要衝であった証が残されています。武蔵国一宮であったとも伝える式内社、小野神社の入り口に当たる随身門(ずいしんもん)(現在の扁額(へんがく)は随神門)にかつて安置されていた随身倚像(ずいしんいぞう)は、小野神社の歴史を物語る貴重な像です。1躯は墨書銘から1319(元応元)年奉納、因幡法橋応円(いなばほっきょうおうえん)作、その後1628(寛永5)年大弐宗慶法印(だいにそうけいほういん)が修理したと分かります。もう1躯はその修理のおりに造られたと思われます。随身とは神社の守護神です。一般に老壮一対の武人姿で、巾子冠(こじのかんむり)、袍(ほう)、袴を着け、弓矢を持って座っています。小野神社の随身倚像は、この典型的な随身像の古例であり、全国的にも室町時代以前の像は珍しいものです。
 鎌倉時代から室町時代前期に、板碑が死者の追善供養、自身の逆修(ぎゃくしゅ)供養を目的に数多くつくられました。板碑は上部を三角形の天蓋(てんがい)形にした板状の石材に種字や画像を彫ったものです。武士ばかりではなく室町時代には庶民も板碑をつくりました。多摩市内にも400基ほどの板碑があります。(金丸和子)
小野神社随神門 1964(昭和39)年建立

小野神社随神門 1964(昭和39)年建立

[金丸和子氏撮影]

1926(大正15)年火災にあい、本殿、拝殿再興の後建立された随神門。現在は新造の随神像を安置。


随身像2躯 1628(寛永5)年
随身像2躯 1319(元応元)年造立

随身像2躯
(左)1628(寛永5)年、(右)1319(元応元)年造立

[小野神社所蔵・東京都指定有形文化財/『武蔵国一之宮』より]

鎌倉時代に制作され、奉納された随身像(右)と江戸時代初期に補われた随身像(左)。


1975(昭和50)年の修理前の古随身像

1975(昭和50)年の修理前の古随身像

[斎藤経生氏提供]

寄木造り、挿首、玉眼入り、胡粉地に彩色。総高74.5cm。胎内の墨書から制作の事情が分かる。持物は失われているが、背面に靱を背負う。


多摩市の板碑の分布

多摩市の板碑の分布

[『関戸合戦』より(『多摩市史叢書(12)多摩市の板碑』をもとに作成)]

板碑の分布には偏りがあり、旧鎌倉街道沿いや川沿いの斜面に多く分布していると分かる。


念仏供養板碑 1470(文明2)年11月中旬造立

念仏供養板碑 1470(文明2)年11月中旬造立

[多摩市指定有形民俗文化財/『関戸合戦』より]

阿弥陀三尊像に三具足、銘文が記された、念仏講のための市内最大の板碑(中央)をはじめ25基の板碑が安置されている。貝取山中から出土。