現在の多摩市の地名である関戸・一ノ宮・和田・落合・貝取・乞田・寺方・連光寺は、いずれも江戸時代に成立した村名です。江戸時代初期におこなわれた「検地」という政策によってこれらの村の範囲と、村に所属する村人が決定されたのです。
それ以前は「郷」という江戸時代の村より広い地域が存在していました。多摩市域には「関戸郷」と「連光寺郷」がありましたが、このうち「関戸郷」から関戸村・和田村・寺方村・貝取村・百草村(現日野市)・落川村(同)が分立し、「連光寺郷」はそのまま連光寺村となりました。
多摩市域の村は江戸からおよそ30kmと、その行程はおよそ半日の距離であったため、江戸との行き来は頻繁でした。このことから村で生産された炭は江戸で消費され、多摩川で獲られた鮎は江戸城に上納されていました。多摩市をはじめ多摩地域の村々は、江戸あるいは江戸城をささえる場として重要な役割を担っていたのです。また、市域の村は多摩丘陵に位置しており、田地の多くは谷と谷の間に小規模に開発された「谷戸田」が主流で、田地に引く水も天水(雨水をためたもの)や湧水に頼っていました。(桜井昭男)