村の防災

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 多摩村となる前の明治初年頃に、各村に消防組[れ組(連光寺組)、せ組(関戸組)、か組(貝取組)、こ組(乞田組)、を組(落合組)、わ組(和田組)、て組(寺方組)、い組(一ノ宮組)等]が組織されました。
 1898(明治31)年6月、多摩村議会において消防組を組織することが議決され、1901(明治34)年2月、連光寺本村地区に連光寺消防組が設置されました。これが多摩村公設組織の始まりであり、以後各地区に設置されていきました。
 この頃の消火用器具は、竜吐水を手引きに改造したものでした。
 1910(明治43)年10月、各地区の消防組を統一して多摩村消防組が設置され、組頭以下8部402名の消防手により組織されました。
 1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災では、多摩村も全壊27、半壊56との被害報告が記録に残されています。(多摩市消防団、多摩市総務部防災安全課)
多摩村連光寺消防組設置ニ付訓令 1901(明治34)年2月

多摩村連光寺消防組設置ニ付訓令 1901(明治34)年2月

[多摩市教育委員会所蔵/『災害と多摩』より]

警視総監から出されたもので、連光寺の消防組(第一部)の設置にあたっての人数や器具などを定めたもの。当初は、組頭1名、小頭4名、消防手40名の計45名で発足。喞筒1、纏1、竹梯子1、鳶口15、旗2、鈴1、玄蕃桶7、高張提灯2、弓張提灯45が用意され、火の見階子、器具置き場が設置された。


消防頭巾 明治時代

消防頭巾 明治時代

[多摩市教育委員会所蔵/『災害と多摩』より]

関戸の「せ組」のものと考えられる。


竜吐水 1893(明治26)年

竜吐水 1893(明治26)年

[多摩市教育委員会所蔵/『災害と多摩』より]

落合の青木葉組「あ組」のもの。


関東大震災時の多摩村の被害

関東大震災時の多摩村の被害

[公益財団法人多摩市文化振興財団作成/『災害と多摩』より]


腕用ポンプ 大正時代か

腕用ポンプ 大正時代か

[多摩市教育委員会所蔵/『災害と多摩』より]

消防組第八部のもの。腕用ポンプが部隊全体に行き渡ったのは大正時代になってから。かなり重量があるため、消防組の定員が増やされたといわれている。