太平洋戦争が始まった頃生まれた私が小学生になった時に、友達との良き遊び場だったのが駅前広場だった。戦争ごっこ、チャンバラごっこ、缶蹴りなどが主な遊びだった。当時のホームは今よりも湾曲が大きく、電車とホームの間に子どもが落ちたくらいだった。上りホームに行くのに遮断機があったが、そんな駅が大きく変化したのは、ニュータウン開発前から当時市内で唯一つの駅であった聖蹟桜ヶ丘駅が、乗客増加を見込んでの高架化と主に水田が広がっていた北側の開発だった。
市内最初の大型スーパー「西友」や「京王ストア」が相次いで開店した1970(昭和45)年頃の駅北地区は、更地が多く広場として活用され、商工まつり、サーカスや京王沿線で一番と言われた盆踊りなどが開催された。
やがて駅前大型マンション「ザ・スクエア」が注目を集め、京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターなどが続々建設されたが、一方で周辺商店街の経営圧迫が問題になり、当時調整機関として「商調協」が存在したが大手にはかなわなかった。個人商店の廃業が顕著になりつつある今、インターネットの普及で掌に乗るスマホなどが生活をさらに大きく変えている。(森田利夫)