《市民のコラム》聖蹟桜ヶ丘駅周辺の変化

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 太平洋戦争が始まった頃生まれた私が小学生になった時に、友達との良き遊び場だったのが駅前広場だった。戦争ごっこ、チャンバラごっこ、缶蹴りなどが主な遊びだった。当時のホームは今よりも湾曲が大きく、電車とホームの間に子どもが落ちたくらいだった。上りホームに行くのに遮断機があったが、そんな駅が大きく変化したのは、ニュータウン開発前から当時市内で唯一つの駅であった聖蹟桜ヶ丘駅が、乗客増加を見込んでの高架化と主に水田が広がっていた北側の開発だった。
 市内最初の大型スーパー「西友」や「京王ストア」が相次いで開店した1970(昭和45)年頃の駅北地区は、更地が多く広場として活用され、商工まつり、サーカスや京王沿線で一番と言われた盆踊りなどが開催された。
 やがて駅前大型マンション「ザ・スクエア」が注目を集め、京王聖蹟桜ヶ丘ショッピングセンターなどが続々建設されたが、一方で周辺商店街の経営圧迫が問題になり、当時調整機関として「商調協」が存在したが大手にはかなわなかった。個人商店の廃業が顕著になりつつある今、インターネットの普及で掌に乗るスマホなどが生活をさらに大きく変えている。(森田利夫)
聖蹟桜ヶ丘駅前の様子 昭和40年代か

聖蹟桜ヶ丘駅前の様子 昭和40年代か

[多摩市教育委員会所蔵]


聖蹟桜ヶ丘駅構内の様子 1966(昭和44)年

聖蹟桜ヶ丘駅構内の様子 1966(昭和44)年

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]


聖蹟桜ヶ丘駅の高架工事 1969(昭和44)年

聖蹟桜ヶ丘駅の高架工事 1969(昭和44)年

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]


京王ストア 1972(昭和47)年頃

京王ストア 1972(昭和47)年頃

[山口正太郎氏撮影・山口泰資氏所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]


高架化からまもない聖蹟桜ヶ丘駅周辺 1970(昭和45)年8月

高架化からまもない聖蹟桜ヶ丘駅周辺 1970(昭和45)年8月

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]