商店と近代の生業

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 多摩村の畑地では、明治時代から昭和前期にかけて、養蚕が広くおこなわれていました。特に、大正末からは盛んにおこなわれ、落合地区や乞田地区には蚕種を販売する種屋が、和田地区には蚕に繭を作らせる(上蔟(じょうぞく)させる)ためのマブシを販売する蔟屋(まぶしや)がありました。東寺方地区では、雑貨商を営んでいた森沢商店の前で、桑葉を売買する「桑市」が開かれていました。
 また、昭和初期まで市内には8つの水車小屋があったといわれ、関戸地区には、ニュータウン開発直前まで、水車を利用した精米・精麦・製粉を業とする精穀所がありました。
 多摩ニュータウンの造成工事が始まると、これまでにはなかった新たな商売を始める人もいました。1964(昭和39)年3月に現在の京王線聖蹟桜ヶ丘駅近くに銭湯「立花浴泉」が創業し、ニュータウン建設などに携わる工事関係者でにぎわったといいます。早めの時間帯は年配の方や子連れ、夕方以降はサラリーマンに多く利用されたとのことです。多摩市で唯一の銭湯は、2014(平成26)年3月末で50年の歴史に幕を閉じました。(浜田弘明)
鎌倉街道沿いの商店 1956(昭和31)年

鎌倉街道沿いの商店 1956(昭和31)年

[『多摩市史 民俗編』より]

商品運搬のためのオートバイと自転車がある。ソース、塩などの食品の看板も見える。


水車と水車小屋 1960年代(昭和35~44年)

水車と水車小屋 1960年代(昭和35~44年)

[『多摩市史 民俗編』より]

電力が普及するまで、水車は農村の動力源として、精米・精麦・粉挽などに利用された。


養蚕農家での給桑の様子 1968(昭和43)年

養蚕農家での給桑の様子 1968(昭和43)年

[『多摩市史 民俗編』より]

養蚕農家では、蚕を棚で飼育し、桑畑から摘んできた桑葉を与えた。


立花浴泉の浴室内 2013(平成25)年3月

立花浴泉の浴室内 2013(平成25)年3月

[浜田弘明氏撮影]

営業時の浴泉内部。奥の壁には富士山が描かれ、手前の洗い場にはタイル壁画が見える。


立花浴泉の外観 2014(平成26)年3月

立花浴泉の外観 2014(平成26)年3月

[浜田弘明氏撮影]

閉店直前の立花浴泉の外観。サウナとコインランドリーが併設されていた。右手に煙突が見える。


立花浴泉の煙突 2014(平成26)年3月

立花浴泉の煙突 2014(平成26)年3月

[浜田弘明氏撮影]

当初は薪を使用していたが、その後、重油を燃料とした。煙突には、「サウナ 立花浴泉」の文字が見える。