開発当時の多摩町の様子と人々のくらし

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 多摩ニュータウン開発の直前の多摩町は、人口約1万人で、兼業農家が多く、米や野菜を作り、養鶏・養豚なども営む農村地帯でした。丘陵地の谷戸の部分では水田を営み、丘の部分では山林で伐採した材木で炭焼きなどをおこなっていました。その一方、この頃になると、山林を売り、桜ヶ丘団地や府中カントリークラブなどのような住宅地やゴルフ場の開発もおこなわれるようになってきていました。多摩ニュータウン開発が決定すると、1968(昭和43)年の終わりには耕作は停止され、本格的な工事が始まります。(事務局)
農協より西側・愛宕団地方面(道路は旧鎌倉街道) 1969(昭和44)年

農協より西側・愛宕団地方面(道路は旧鎌倉街道) 1969(昭和44)年

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]


乞田より愛宕方面(愛宕方面は造成中) 1968(昭和43)年11月

乞田より愛宕方面(愛宕方面は造成中) 1968(昭和43)年11月

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]


多摩第三小学校と造成工事中の愛宕団地 1969(昭和44)年

多摩第三小学校と造成工事中の愛宕団地 1969(昭和44)年

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]

小中学校数は少なく、通学に時間がかかる児童・生徒もいた。


乞田(現在の多摩ニュータウン通りにあたる) 1968(昭和43)年11月

乞田(現在の多摩ニュータウン通りにあたる) 1968(昭和43)年11月

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]


開発前の風景 1968(昭和43)年6月

開発前の風景 1968(昭和43)年6月

[小林一造氏撮影・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]


聖蹟桜ヶ丘駅前の様子 1969(昭和44)年1月

聖蹟桜ヶ丘駅前の様子 1969(昭和44)年1月

[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]