多摩ニュータウン計画の始動

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 昭和30年代の高度経済成長期、多摩丘陵一帯では、東京都心部の深刻な住宅難を背景に、小規模で無秩序な宅地開発が次々とおこなわれていました。このまま放置しておくと、将来の都市計画上、重大な障害になることが予想されたため、東京都では、1960(昭和35)年から南多摩地域の多摩丘陵を対象とした大規模な住宅地開発に向けた調査を開始しました。調査の結果、多摩村、稲城村を中心とする1,600haを対象に、15万人程度の収容が可能な集団的宅地開発計画案がまとめられ、これが多摩ニュータウンの「原型」となっていきます。
 その後、建設省や日本住宅公団も巻き込みながら計画の基本的な枠組みが作り上げられ、さらに1963(昭和38)年制定の「新住宅市街地開発法」と結びつくことで、巨大な住宅都市開発プロジェクトへと拡大していきます。1964(昭和39)年に東京都が多摩ニュータウン事業を正式に決定し、翌1965(昭和40)年12月、建設大臣によって正式に都市計画決定されました。(金子淳)
多摩丘陵地区の用地買収について 1965(昭和40)年11月

多摩丘陵地区の用地買収について 1965(昭和40)年11月

[公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩ニュータウン開発の軌跡』より]

日本住宅公団が、地元住民に対する用地買収の説明会の際に配布した資料。


多摩ニュータウン起工式 1969(昭和44)年6月2日

多摩ニュータウン起工式 1969(昭和44)年6月2日

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『ニュータウン誕生』より]

起工式は現在の永山4丁目付近でおこなわれ、それ以降、工事が本格化していった。


事業説明会会場 1966(昭和41)年

事業説明会会場 1966(昭和41)年

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『ニュータウン誕生』より]

新住宅市街地開発法では事前の地域住民への説明が義務づけられ、地域ごとに説明会が順次開催された。


工事告示の看板 1966(昭和41)年12月頃

工事告示の看板 1966(昭和41)年12月頃

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『ニュータウン誕生』より]

新住宅市街地開発事業として着工されることを地域住民に知らせるため、日本住宅公団が設置したもの。