ニュータウン予定地の用地買収は、日本住宅公団による先行買収という形で始まり、1964(昭和39)年以降から本格的な買収交渉が開始されました。しかし、土地の買収に応じなければ土地収用法が適用されて強制的に収用されることや、土地価格の単価に交渉の余地がないこと、補償や生活再建の対策が具体的に示されていないことなどが次第に分かってくると、住民の多くは買収に対して反対の立場をとるようになっていきました。
用地買収への反対の声は、計画そのものの反対へと広がっていきました。1966(昭和41)年には、地元の413名の地権者が、既存集落と主要農耕地を区域から除外することを求める請願書を提出しました。このことがきっかけとなって、東京都は、既存集落地域を全面買収の対象から除外して土地区画整理事業へと計画変更することを決定します。これによって多摩ニュータウン計画は、新住宅市街地開発事業と土地区画整理事業の二本立ての計画として進められることとなったのです。(金子淳)
請願書 1966(昭和41)年2月7日
[多摩市議会事務局所蔵/『ニュータウン誕生』より]
地元住民が、既存集落を新住宅市街地開発事業区域(新住区域)から除外するよう求めている。
唐木田バス停と区画整理反対の看板 1967(昭和42)年4月
[大石武朗氏撮影/『写真集 多摩ニュータウン今昔』より]
当時は神奈中バスが相模原駅から唐木田まで運行していた。「区画整理反対」の看板が見える。
二反田付近の区画整理反対の看板 1967(昭和42)年4月
[大石武朗氏撮影/『写真集 多摩ニュータウン今昔』より]
現在の多摩市中沢2丁目(二反田)付近。「区画整理反対」の看板が見える。
新住区域と土地区画整理区域を分ける杭打ち作業 1966(昭和41)年
[南多摩新都市開発本部関係資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『ニュータウン誕生』より]
地主の立ち会いのもとで、新住区域と土地区画整理の区分けをするために杭を打って決めていった。
多摩ニュータウン区画整理事務所 1971(昭和46)年7月
[多摩市所蔵]
東京都南多摩新都市開発本部の施工部門として、1970(昭和45)年に設置された。
多摩センター地区の区画整理事業の様子 1979(昭和54)年2月
[多摩市所蔵]
多摩土地区画整理事業(第一工区)の一部。すでに開業している多摩センター駅が見える。