《市民のコラム》団地内商店街の思い出

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 多摩市の乞田地区において、多摩ニュータウンの開発以前から増田家は、多摩村で農業・荒物屋・商店により生活を営んできました。私達家族は代々、増田商店(米穀店)を家業として、現在まで続けています。米穀店を取り巻く環境も大きく変わり、ニュータウン開発により様々な変化がありました。
 米の販売については、以前は米穀通帳による個別管理による販売で、米の販売も昭和40年代まで順調に推移していました。
 1971(昭和46)年の春には永山地区で多摩ニュータウンの第一次入居も始まり、当時はニュータウン開発に伴う既存の小売業の生活再建として、地区の商店街に優先出店が認められていました。生活再建については私の家族が土地を買収されたことにより、永山地区の近隣センターに「増田商店(米穀店)」として出店しました。当時は多摩ニュータウンの第一次入居であり、地区センターにはスーパーマーケットを中心に飲食店・酒店・電気店など、私の米穀店を含めて8店舗が立地しました。活気があり、他市から若い家族層を中心に、近隣センターでは多数の人で賑わい、笑顔に包まれていました。その後、第二次の入居により店舗も増加し永山商店街が発足して、ますますの発展を期待しておりました。
 しかしながら、車社会の到来、消費者の購買動向の多様化、少子高齢化の影響により、商店会において退店が続き、残念ですが、当時出店した店舗もなくなり、現在の状況となりました。
 現在の状況を見るにつけ、多摩市は多摩ニュータウンとともに発展してきましたが、先祖代々の土地を売却して、街の繁栄とますますの発展を夢見て亡くなった先人達の思いと意志を考えざるを得ません。
 時代とともに街は変わり、人も行政も変わっていきますが、多摩ニュータウン開発のバラ色の夢は、現実として実現されていません。過去の出来事や過去の開発の歴史を知り、学ぶことなくして、今後の街づくりはありません。今ある街並み、多摩市は過去の先人たちの努力により形成されてきたことを忘れずに、自分のできる範囲で過去の歴史を子どもたちに伝えていきたいと思っています。(増田匠)
開発前の増田商店

開発前の増田商店

[増田匠氏所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]

蚕室のあるつくりだった増田商店を建て替え、新築開店した時の写真。


永山団地商店街にオープンした増田商店1 1971(昭和46)年3月
永山団地商店街にオープンした増田商店2 1971(昭和46)年3月

永山団地商店街にオープンした増田商店 1971(昭和46)年3月

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]


オープン当初の諏訪商店街 1971(昭和46)年6月

オープン当初の諏訪商店街 1971(昭和46)年6月

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]


オープン当初の永山商店街1 1971(昭和46)年3月
オープン当初の永山商店街2 1971(昭和46)年3月

オープン当初の永山商店街 1971(昭和46)年3月

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵/『多摩・商店ことはじめ』より]