新しいくらし①すまいとしての団地

100 ~ 101 / 219ページ
 多摩ニュータウン計画は、当初、都心部の深刻な住宅難に対処するため、住宅を大量供給することを目的としていました。そのため、団地サイズと呼ばれる1DKから3Kの間取りを中心とする、手狭な賃貸住宅が主流でした。その後、住民からの狭いことへの不満を受けて、3DKや3LDKの間取りが主流化し、分譲住宅の比率も増加しました。調理をおこなうキッチン(K)とは別に、食事をする場としてのダイニング(D)、さらには家族の団らんの場としてのリビング(L)が併設され、生活空間のゆとりが増していきました。1976(昭和51)年には、専用の庭のある低層総合住宅「テラスハウス」、1978(昭和53)年には共有庭を持つ都市型低層住宅「タウンハウス」も登場しています。
 人口急増の一方で、交通の不便さはなかなか解消されず、1974(昭和49)年6月に小田急多摩線が永山駅、10月に京王相模原線が多摩センター駅へ延伸されるまでは、「陸の孤島」と呼ばれていました。(浜田弘明)
百草団地の外観 1971(昭和46)年3月

百草団地の外観 1971(昭和46)年3月

[多摩市所蔵]

この団地は、和田に1970(昭和45)年3月に建設され、間取りは2DK~3DKとなっている。


公団住宅の3Kレイアウト図 1981(昭和56)年

公団住宅の3Kレイアウト図 1981(昭和56)年

[川尻俊夫氏作成]

3部屋とも和室であるが、キッチンはフローリングで、キッチンセットが付いており、トイレは洋式である。


公団3Kのキッチン 1981(昭和56)年8月10日

公団3Kのキッチン 1981(昭和56)年8月10日

[川尻俊夫氏所蔵]

台所のキッチンセットの左脇に2ドア式の冷凍冷蔵庫が見える。


百草団地の引っ越し風景 1970(昭和45)年3月

百草団地の引っ越し風景 1970(昭和45)年3月

[多摩市所蔵]

トラックで家財道具が運び込まれている様子が分かる。


団地と自家用車 1970年代(昭和45~54年)

団地と自家用車 1970年代(昭和45~54年)

[多摩市所蔵]

陸の孤島と言われた多摩ニュータウンでは、マイカーは必需品であった。


京王相模原線しゅん功開通式 1974(昭和49)年10月17日

京王相模原線しゅん功開通式 1974(昭和49)年10月17日

[多摩市所蔵]

多摩センターまで、京王相模原線がようやく延伸された。