暮らしと文化は市民がつくった

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 建物に入居しても、生活は自分たちでつくらなければなりませんでした。永山・諏訪の自治会を結成して、尾根幹線の車線を1車線にする活動をしたり、生協をつくったり、主婦たちはプレハブを建てて学童保育を自主運営したり、また、図書館がないので自宅のひと部屋を開放して、子どもたちのための地域文庫をつくって子育てをしました。また、地元の特産だった“めかい”を地域文化として再現・普及したり、「多摩ニュータウン新しい文化をつくる会」を立ち上げ、「丘」という手作りの季刊地域雑誌も発行しました。こうして本当のまちづくりは新住民たちがつくり上げたのでした。(浅井民雄)
聖蹟桜ヶ丘駅の通勤風景 1965~74(昭和40年代)

聖蹟桜ヶ丘駅の通勤風景 1965~74(昭和40年代)

[多摩市所蔵]


通勤風景 1965~74年(昭和40年代)

通勤風景 1965~74年(昭和40年代)

[多摩市所蔵]