豊かな自然と住居を求めて多摩ニュータウンに移り住んだ私は、子どもの教育、安全な食べ物や文化を求め活動開始。1971(昭和46)年4月幼稚園父母会発足、5月「たま生協」に加入、6月自治会創設準備会発足、9月「諏訪永山公団住宅自治会」第一回総会で私は文化部を担当。同年11月1日多摩市市制施行。
1972(昭和47)年4月長男の小学校入学を機に、先輩お母さんたちのお誘いで「なかよし文庫」に親子で入会。会費は一人月額50円、本は会員の持ちより本、寄贈本の他、月1回の廃品回収で得たお金による新規購入、3か月ごとに都立八王子図書館から100冊の団体貸出しを受けましたが足りず、図書費を自治会に要望。2年目の自治会総会で図書購入費5万円が承認され、公団が週2回集会所使用を快諾。毎週200人の親子が貸出しや読み聞かせに参加しました。翌1973(昭和48)年8月に多摩市立図書館が開館すると、館長の協力を得て文庫活動が軌道に乗り会員も500人に。
1972(昭和47)年9月自治会文化部では、及川貢氏を指揮者に迎え、11月「たま女声コーラス」誕生。
同時期に多摩市社会教育課より多摩市婦人団体への参加要請があり、私は「たま女声コーラス」代表として参加、婦人会、農協婦人部、福祉施設での奉仕活動をされている年配の方々が暖かく迎えてくださいました。相互の情報交換を通して教養や親睦を深めるというおおらかな会で、3か月に1回、多摩の歴史、史跡、文学、教育、人生論や草餅の作り方まで教えてくださり、私は多摩市に移り住んだことの幸せを実感しました。(住田啓子)