住宅建設の変化

124 ~ 125 / 219ページ
 昭和50年代、首都圏での公共住宅供給は「高、遠、狭」による不振が続いていました。日本住宅公団(現UR都市機構)では、国の居住水準向上を目指す政策にも合わせた、新たな都市型低層高密度団地の研究開発を始めました。試設計を繰り返し、海外事例も参考にした公団型タウンハウス第1号が、多摩ニュータウン諏訪3丁目に、1979(昭和54)年3月に実現しました。従来の中層階段室型住棟主体の団地に代わる、専用庭付きの戸建て感覚を持った58戸の新しいタイプの「タウンハウス諏訪」の誕生です。良好な住環境とコミュニティ形成を目指し、4タイプの3LDK住宅の玄関を共用庭又は路地に面して「向こう三軒両隣」の住宅群を形成しています。募集時の高い評価により、その後の多摩ニュータウンの住宅建設は活発に進み、永山5丁目、貝取、豊ヶ丘、落合、鶴牧地区へと続きました。さらに先進事例として、木造タウンハウス、プラスワン住宅、フリースペース付住宅、新型中層住宅などが次々と誕生しました。(山田正司)
タウンハウス諏訪の鳥瞰パース 1979(昭和54)年

タウンハウス諏訪の鳥瞰パース 1979(昭和54)年

[山田正司氏画]

当時、募集パンフレットに使われた街の完成イメージ図。


初期のタウンハウス諏訪の外観 1983(昭和58)年

初期のタウンハウス諏訪の外観 1983(昭和58)年

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]

玄関が共用庭に面した住戸群が緑の中に静かにたたずむ。


現在のタウンハウス諏訪の路地 2020(令和2)年

現在のタウンハウス諏訪の路地 2020(令和2)年

[山田正司氏撮影]

両側に玄関が面する団地中央の路地は、家並みや勾配屋根、レンガの壁の連なりが特徴的。


建設当初のタウンハウス南野 1986(昭和61)年

建設当初のタウンハウス南野 1986(昭和61)年

[UR都市機構寄贈資料・公益財団法人多摩市文化振興財団所蔵]

戸建住宅が多い南野地区に木造ツーバイフォー(2×4)工法によるタウンハウス団地が誕生した。


現在のプロムナード多摩中央 2020(令和2)年

現在のプロムナード多摩中央 2020(令和2)年

[山田正司氏撮影]

多摩センター駅に通ずる歩行者専用道路沿いは、プラスワン住宅やヒューマンスケールの家並みが楽しさを演出。


現在のタウンハウス落合 2020(令和2)年

現在のタウンハウス落合 2020(令和2)年

[山田正司氏撮影]

富士山の見える宝野公園沿いは、勾配屋根の連なりが特徴的な家並み。


現在のエステート鶴牧4.5 2020(令和2)年

現在のエステート鶴牧4.5 2020(令和2)年

[山田正司氏撮影]

中層階段室型でありながら、従来よりも変化とゆとりを備えた高性能住宅。