地図でたどる多摩ニュータウン

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 地形図は、土地の起伏や土地利用などを知るために、とても役立ちますが、もともとは軍事目的に作成されたものです。近代測量に基づく最も古い地形図は、明治時代に陸軍の陸地測量部が作成した「迅速(じんそく)測図」と呼ばれるもので、多摩村は1882(明治15)年に測量されています。5年後に発行された迅速測図は、単色刷りの地図ですが、その原図は、手作業によって美しく土地利用が彩色され、当時の地域の様子を知ることができます。当時、多摩丘陵の多くは山林に覆われていますが、丘陵の谷間の「谷戸」には、「谷戸田」と呼ばれる水田が開かれている様子が分かります。
 1912(大正元)年の統計では、山林が村の54%を占め、畑地が約23%、水田が約13%などとなっていて、純粋な農村であったことが分かります。この比率は、多摩ニュータウンの造成が始まる1960年代までは大きく変わりませんが、1970(昭和45)年前後に宅地(市街地)の割合が山林を上回り、その後、人口が急増しました。(浜田弘明)
1882(明治15)年測量 迅速測量原図「神奈川県武蔵国南多摩郡 小野路村外七村」「同郡坂濱村外五村」

1882(明治15)年測量 迅速測量原図「神奈川県武蔵国南多摩郡 小野路村外七村」「同郡坂濱村外五村」

[(財)日本地図センター発行『明治前期測量2万分1フランス式彩色地図』より(縮小率77.6%)]

陸軍陸地測量部が作成、測量した仮の地形図の原図で、手書きで彩色されており、当時の土地利用や景観が良く分かる。


1957(昭和32)年資料修正 2万5千分の1地形図「武蔵府中」

1957(昭和32)年資料修正 2万5千分の1地形図「武蔵府中」

[国土地理院発行]

丘陵部は山林が多く、谷戸沿いには水田や集落・畑地が分布する。多摩村の1955(昭和30)年の人口は7,159人。


1977(昭和52)年第二回改測 2万5千分の1地形図「武蔵府中」

1977(昭和52)年第二回改測 2万5千分の1地形図「武蔵府中」

[国土地理院発行]

ニュータウン建設が進んだ時期で道路網が整備され、宅地化が進んでいる。この年の人口は79,321人。


2019(令和元)年調製 2万5千分の1多色刷地形図「武蔵府中」

2019(令和元)年調製 2万5千分の1多色刷地形図「武蔵府中」

[国土地理院発行]

近年、地形図はカラー化され、市街地の広がりが良く分かる。この年の人口は148,865人。