地域に大規模な変革が起きた場合は、石仏が元の地から移されることがあります。明治の神仏分離で廃寺になった地蔵院跡地にあった地蔵菩薩像や六地蔵などの石仏は、中組稲荷社の境内の覆い屋に移座されました。下落合八坂神社、乞田の吉祥院、山王下の瘡守(かさもり)稲荷社などには近隣の石仏などが集められました。いずれの場合も、新たに移転した場所で現在も大切に守られています。
近年では、観音寺のように寺域内を整備し、覆い屋を造り、お参りしやすい場所に移動する場合もあります。(金丸和子)
貝取の大シラカシと庚申塔 1980(昭和55)年
[大石武朗氏撮影]
ニュータウン開発時、大福寺の峰にあった樹齢100年を越す大シラカシの移植とともに移された貝取村の庚申塔2基。1740(元文5)年と1704(宝永元)年にそれぞれ建立された。
白山神社の土公神 2008(平成20)年
[石仏調査会撮影/『開発を見つめた石仏たち』より]
土の神として祀られ、明治期に一度移動し、ニュータウン開発に伴い、白山神社拝殿脇に移動した。1858(安政5)年建立。
麥花塚・庚申塔と地蔵菩薩像、阿弥陀如来像 2010(平成22)年
[石仏調査会撮影/『開発を見つめた石仏たち』より]
かつて移動した時に疫病が流行り、地蔵菩薩の移動が原因とされ、元の場所に戻したと伝わる。地蔵菩薩像は1668(寛文8)年、阿弥陀如来像は1673(寛文13)年建立。