1971(昭和46)年創立の桜ヶ丘第一保育園は、開発途上の多摩ニュータウンの広い荒野を望む百草団地の一角に位置していた。産休明けから就学前までの保育園児116名・保護者・職員・全員が新顔だ。その中でわらべうたは、仲間づくり、人間関係づくりにとりわけ、威力を発揮した。大人も、子どもも、集まれば挨拶代わりにわらべうたが始まる。保育中も自然の中に飛びだし、蛙公園でオタマジャクシを見つけると、蛙が鳴くからかえろ、オタマがいるからいいじゃんかと皆で手をつなぎ行列のたんぽぽを見つけ、たんぽぽたんぽぽ、向う山へとんで行け「フゥ!」と集まって、自然にとけ込んでいく。
ある年、当時ソニーの社長だった井深大氏に二人の保母が40~50名の親子ハイキングに招かれ、荒野の中で氏を囲み、「おちゃをのみに」「ドンドン橋わたれ」など数曲うたい、遊び、楽しんだ。後にソニーは、幼児教育支援財団を設立している。当時わらべうた三昧だったこの園からは、今でもわらべうたの歌声が響いている。(齊藤桂子)