15時00分には第1回災害対策本部会議を開催するとともに、市内の被害状況の確認や対応にあたりました。
全消防団員も参集し、受け持ち区域の情報収集活動・警戒活動・広報活動を実施しました。
公共交通機関の停止により各駅周辺の公共施設に集まった帰宅困難者等へ、毛布や非常食料を配布しました。
また、被災地へ支援物資の搬送や応援職員の派遣をおこないました。(多摩市総務部防災安全課)
パルテノン多摩大ホールでの帰宅困難者受け入れ 2011(平成23)年3月11日
パルテノン多摩では、多摩センター地区の震災による帰宅困難者766名を受け入れた。市内ではその他、関戸・一ノ宮コミュニティセンター、永山公民館、関戸公民館でも帰宅困難者を受け入れた。
大震災発生当日夜の多摩センター駅駅前 2011(平成23)年3月11日
18時頃の様子。この時点では、京王相模原線も小田急多摩線も運行を見合わせており、駅前は帰宅できなくなった人々であふれていた。この日、多摩モノレールは16時頃から、京王電鉄は22時過ぎから、小田急電鉄は24時過ぎから運行を再開した。
多摩市非核平和都市宣言 |
---|
多摩市は、この緑豊かな土地に生まれ育ち、あるいは全国各地から夢と希望を持った、多くの人たちが集まってできたまちです。私たちは、太陽の光あふれるこの多摩市で、穏やかな日々の生活を平和だと感じて暮らしています。 この暮らしのなかで、いつしか広島・長崎の記憶が薄れつつあり、世界には今もたくさんの核兵器が存在すると知りながら、平和は失われやすいことを忘れかけていました。 平成23年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所事故に、私たちは多くのことを学びました。自然の力に対する謙虚さを忘れ、人間の科学技術を過信していたこと。安全と言われていた原子力発電所から、ひとたび事故が起これば大量の放射性物質が拡散され、大事に育て築いてきたものが、たちまち奪われうることを。 私たちは、人と人との絆を大切にし、原子力に代わる、人と環境に優しいエネルギーを大事にしていきます。そして、戦争がなく、放射能被害のない平和な世界に向けて、みんなが笑顔で、多様ないのちがにぎわうまちを、多摩市から実現していきます。 現在、そして未来の子どもたちに戦争の悲劇と平和の大切さを伝え、他の都市とともに世界の人々と手をたずさえて、全ての核兵器の廃絶と平和な社会を求めるために、ここに多摩市が非核平和都市であることを宣言します。 |
那須海城祭 2015(平成27)年6月
那須高原海城中学校・高等学校は、東日本大震災で校舎と寮が被災したことから、2011(平成23)年6月より、旧豊ヶ丘中学校の校舎を授業に使用した。2017(平成29)年3月の閉校までの学校生活は、メディアに取り上げられ、人々の記憶に残ることになった。