調布玉川惣画図之弁 序文 翻刻

 
 
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初にいふ
天保とをといへる歳のさつき
はかりに多摩の郡をかうち
の原むらの温泉に浴して
思へらく此地は玉川に添て甲斐
の境にちかし予もたまかは
のほとりにすみて其ミなもとを
しらされはこたひ爰に遊へる
さちにその水源をきはめかへ
るさに川たけのくまゝゝを探り
画かきうつし亦玉川にそひたる
むらさとに有ところの名所旧跡
をも加へつらねむとほりし
くはたて画図頗なれりといへ
ともいまた残れる所有によりて
猶五歳過今年神なつきふたゝ
ひ水源に杖をひき其濫觴
をきはめ川にそひてくたる
ことおよそ三十余里はねた
うらにいたり画図とゝのひ
なれりしかして後予の親友
武蔵野のゑのきとのさとの長なる
榎戸某にかたれは図をひらき
ミてこは人のたつねもとむる
ところ無下にひめおくへき
にあらされはいそきさくら木に
ちりはめて好事の輩の翫に
そなへよとのすゝめにまかせて板に
彫らしむることとはなりぬ
弘化ふたつといへる歳のいやよひ
もちの日玉川の方かすみの関の
あとなる関戸のさと人松蔭の翁
相澤伴主よはひ七そちあまり
八にてしるす