【解読文】
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乍恐以書付奉願上候
甲州道中府中宿より矢倉沢御関所通往還
武州多摩郡木曽村并同村助郷之内高ヶ坂
外拾弐ヶ村都合拾四ヶ村小前村役人惣代右木曽村
名主源右衛門高ヶ坂村同三右衛門一同奉申上候
私共村々之儀者前書木曽村江御伝馬定助郷
相勤一体助郷村々之者共一同元和三巳年三月中乍恐
東照宮様 御尊櫃駿州久能山より日光山江
御通輿被為在候砌不用意之処小田原宿より
府中宿江急場俄之御道筋ニ相成同三月
十八日より十九日小田原宿御逗留同廿日相州中原村
御泊夫より馬継場厚木村座間村木曽村御小休場
被為仰付候より小野路村江御継立仕同廿一日府中宿
御泊一日之御逗留廿二日より廿四日迄仙波御逗留廿八日
佐野廿九日より四月三日迄鹿沼宿御逗留同四日
日光山江入
御被為遊候其節御供奉天海僧正様本多上野介様
土井大炊頭様松平右衛門太夫様板倉内膳正様
秋元但馬守様成瀬隼人正様安藤帯刀様
中山備前守様榊原大内記様其外御旗本様方
数多之御同勢ニ而誠ニ以急場俄無此上御大切之
御用ニ付如何体ニ茂奉掛身命御継立可相勤段
被 仰渡尤永々末々迄夫役被 仰付間敷段
奉蒙
御尊命木曽村者勿論助郷村々共一同前代
未聞稀
御国恩之御儀与冥加至極難有奉恐仰候
然ニ辺鄙之御道筋ニ付民家少く男女老少之
無差別用立候もの者不残罷出生茂り候樹木
火急ニ伐払枯木枝葉等道際家居取払
御道筋切広ヶ精々丈夫ニ掛渡人馬木曽村江
相備居悉手操を尽し分骨身命を不惜
立帰りて昼夜寝食之暇無之出情相勤数万之(精)
人馬無滞御継立御用相済其以来
御尊櫃 御成道与奉唱来申候前願之通り
木曽村者脇往還駅場外三拾ヶ村者定助郷ニ而レ
木曽村江御伝馬人足差出諸御用御継立連綿
相勤候間私共村々都而地方助合者勿論度々日光
御社参之節迚も人馬国中御触被為仰出候砌も
右御由緒之訳柄を以申立候得者孰れも御免除
御許容被為在偏
御神徳与難有挙而奉仰伏冥加至極之程朝暮
老若男女迄日光御山ニ向ひ
御神威奉拝礼罷在候儀ニ有之前書於座間村ハ其節
御神輿御座所江御宮建立御修復之節
相州壱ヶ国御免勧化被仰付私共村々ニ而も
別段御寄進仕享保度々例を以其後猶御修復
之節も冥加出情勤金差出申候儀ニ御座候(精)
一延享度已来宿々又者助郷村より度々差村
いたし前段御由緒を以御免除相成去ル天保
十二丑年中神奈川宿定助郷村々より矢張差村
いたし候ニ付巨細前文之趣相認奉願上候処
御免除御許容被成下置然処往古より
脇往還之儀ニ付諸家様御通行追々相嵩
漸勤続居候得共是迄東海道甲州道中
両道宿々江助郷相勤候義曽而無之村柄之儀者
武相両国境山々谷合ニ相狭り其上用水乏敷
旱損勝ニ而畑方多分之村々ニ有之難渋筋之
儀者難申尽万々一御由緒有之候共東海道
筋江助郷等被仰付候而ハ忽潰退転之儀者
眼前ニ御座候間夫役御免等奉蒙仰候趣を以
相続仕度大小之百姓夫而已心掛罷在候折柄
去ル天保十三寅年中五街道宿々助郷困窮ニ付
御救御用金江
御国恩冥加筋相弁御差加相願候もの御聞糺
為御用筒井銑蔵様御廻村有之私共村々
之儀者素より
御国恩自得罷在重立候もの共申合兼々
聊宛別段金子積立置候砌神奈川宿より
木曽村金井村高ヶ坂村大谷村奈良村能ヶ谷村
都合六ヶ村差村相成候ニ付弘化四未年中道中
御奉行久須美佐渡守様御勤役中六ヶ村ニ而
金弐百両献金奉願上候所御調中一ト先帰村被
仰付難有帰村罷在其後猶八ヶ村ニおゐても
聊積立置候金子有之今般拾四ヶ村ニ而金子
今年ニ至リ金千両相貯候間右御上納仕奉
恐入候得共其御筋之御金江御差加宿方助成ニ
被成下置是迄之通孰れ之街道筋大御通行
有之候而も助郷差村等一切不被 仰付
御仁恵之程徹心魂難有仕合奉存候間木曽村
始メ拾三ヶ村挙而今般奉願上候
一当拾四ヶ村之内能ヶ谷広袴両村之儀者既ニ当今
御進発之御沙汰被 仰出尚御供者不及申上
諸家様方多分御通行有之候趣を以東海道
神奈川宿より
御印状頂戴奉恐入併相当之賃銭請取
人馬差出方之儀宿方江遂示談を可申与之義
承知奉畏候得共追々右様之儀村々江押移
候而者前条御由緒之義も相立兼殊更
御国恩相弁積立候金子も其儘相成候次第ニ
相心得依而ハ無差別当拾四ヶ村一統元和度
御大切之御用相勤候旧例徹骨随ニ挙而
難有奉仰伏大小之百姓申合候金千両上金仕
乍聊も右金道中筋御用途江御差加之義
偏奉願上候何卒以
御慈悲逸々被為聞召訳右上納金之義御許容
被下置孰れ之宿方江も助郷等御免除相成
安穏ニ当拾四ヶ村永続出来候様被
仰付被下置度奉願上候以上
江川太郎左衛門御代官所
倉橋惣三郎知行所
武州多摩郡木曽村
同御代官所
同知行所
同州同郡根岸村
須藤宗左衛門知行所
同州同郡森野村
田中一郎右衛門知行所
同州同郡原町田村
同御代官所
町野悌十郎 細井百助 知行所
同州同郡金森村
高井大和守 遠藤六郎右衛門 知行所
同州同郡高ヶ坂村
大久保矢九郎 井戸信八 知行所
同州同郡小川村
久留十左衛門
右信八 知行所
三田治郎吉
同州同郡成瀬村
右 十左衛門知行所
同州同郡大谷村
同御代官所
右 十左衛門 神谷武右衛門 知行所
同州同郡本町田村
右 武右衛門知行所
同州同郡金井村
同御代官所
右 武右衛門知行所
同州同郡広袴村
石丸時太郎知行所
同州都筑郡奈良村
右
拾四ヶ村
小前村役人
右
太郎左衛門御代官所
木曽村
名主
元治元子年十一月 源右衛門
右
六郎右衛門知行分
高ヶ坂村
同
三右衛門
道中
御奉行所様
【読み下し文】
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恐れ乍ら書き付けを以て願い上げ奉り候
甲州道中府中宿より矢倉沢御関所通り往還、武州多摩郡木曽村并び
に同村助郷の内、高ヶ坂外拾弐ヶ村、都合拾四ヶ村小前・村役人惣代、
右木曽村名主源右衛門・高ヶ坂村同三右衛門一同申し上げ奉り候、
私共村々の儀は前書木曽村の御伝馬定助郷相勤め、一体助郷村々の者
共一同元和三巳年三月中恐れ乍ら 東照宮様御尊櫃 駿州久能山よ
り日光山え御通輿在らせられ候砌、不用意の処、小田原宿より府中
宿え急場俄かの御道筋に相成り、同三月十八日より十九日小田原宿
御逗留、同廿日相州中原村御泊り、夫れより馬継場厚木村・座間村・木曽
村御小休場仰せ付けさせられ候より、小野路村え御継ぎ立て仕り、
同廿一日府中宿御泊り、一日の御逗留、廿二日より廿四日迄仙
波御逗留、廿八日佐野、廿九日より四月三日迄鹿沼宿御逗留、同
四日日光山え入 御遊ばせられ候、其節御供奉天海僧正様・本多
上野介様・土井大炊頭様・松平右衛門太夫様・板倉内膳正様・秋元但
馬守様・成瀬隼人正様・安藤帯刀様・中山備前守様・榊原大内記様、其
の外御旗本様方数多の御同勢にて、誠に以て急場俄か此の上無く御大切
の御用に付き、如何体にも身命掛け奉り、御継ぎ立て相勤むるべき段仰
せ渡さる、尤も永々末々迄夫役仰せ付けらる間敷段、 御尊命を蒙り
奉り、木曽村は勿論、助郷村々共一同前代未聞稀なる 御国恩の御儀
と冥加至極有り難く仰せ恐れ奉り候、然るに、辺鄙の御道筋に付き、
民家少く、男女老少の差別無く用立て候ものは残らず罷り出で、生茂
り候樹木火急に伐り払い、枯木・枝葉等、道際家居取り払い、御道筋切
り広げ、精々丈夫に掛け渡し、人馬木曽村え相備え居り、悉く手操り
を尽し、分骨身命を惜まず、立ち帰りて昼夜寝食の暇之れ無く出精相勤
め、数万の人馬滞り無く御継ぎ立て、御用相済せ、其れ以来 御尊櫃
御成道と唱え奉り来り申し候、前の願いの通り、木曽村は脇往還駅
場、外拾三ヶ村は定助郷にて、木曽村え御伝馬人足差し出し、諸御用御継
ぎ立て連綿相勤め候間、私共村々都て地方助合は勿論、度々日光御
社参の節迚も、人馬国中御触仰せ出ださせられ候砌も、右御由緒の訳柄
を以て申し立て候得ば、孰れも御免除御許容在らせられ、偏えに 御
神徳と有り難く挙て仰伏して奉り、冥加至極の程、朝暮、老若男
女迄日光御山に向ひ 御神威拝礼奉り罷り在り候儀に之れ有り、前
書座間村に於ては其の節 御神輿御座所え御宮建立・御修復の節、
相州壱ヶ国御免勧化仰せ付けられ、私共村々にても別段御寄進仕り、
享保度の例を以て、其の後猶御修復の節も冥加出情(精)勤金差し出し申
し候儀に御座候
一、延享度已来宿々又は助郷村より度々差村いたし、前段御由緒を以て
御免除相成り、去る天保十二丑年中神奈川宿定助郷村々より矢張り差
村いたし候に付き、巨細前文の趣相認め願い上げ奉り候処、御
免除御許容成し下され置く、然る処往古より脇往還の儀に付き、諸家様
御通行追々相嵩み、漸く勤め続け居り候得共、是迄東海道・甲州道中
両道宿々え助郷相勤め候義曽て之れ無き村柄の儀は、武相両国境、
山々谷合に相狭り、其の上用水乏敷、旱損勝にて、畑方多分の村々に之
れ有り、難渋筋の儀は申し尽し難く、万々一御由緒之れ有り候共、東
海道筋え助郷等仰せ付けられ候ては忽ち潰れ、退転の儀は眼前に御座
候間、夫役御免等仰せ蒙り奉り候趣を以て相続仕り度、大小
の百姓夫れ而已心掛け罷り在り候折柄、去る天保十三寅年中、五
街道宿々助郷困窮に付き、御救い御用金え 御国恩冥加筋相弁え、
御差し加え相願い候もの御聞き糺し御用として筒井銑蔵様御廻村之れ有
り、私共村々の儀は素より 御国恩自得罷り在り、重立ち候もの共申
し合わせ、兼々聊か宛別段金子積み立て置き候砌、神奈川宿より木
曽村・金井村・高ヶ坂村・大谷村・奈良村・能ヶ谷村、都合六ヶ村差村相
成り候に付き、弘化四未年中、道中御奉行久須美佐渡守様御勤中、
六ヶ村にて金弐百両献金願い上げ奉り候所、御調べ中、一と先帰
村仰せ付けられ、有り難く帰村罷り在り、其の後猶八ヶ村においても聊
か積み立て置き候金子之れ有り、今般拾四ヶ村にて金子、今年に至り
金千両相貯め候間、右御上納仕り、恐れ入り奉り候得共、其の
御筋の御金え御差し加え、宿方助成に成し下され置き、是迄の通り、孰
れの街道筋大御通行之れ有り候ても、助郷差村等一切仰せ付けられず、
御仁恵の程、心魂徹し有り難き仕合せに存じ奉り候間、木曽村始め
拾三ヶ村挙て、今般願い上げ奉り候
一、当拾四ヶ村の内、能ヶ谷・広袴両村の儀は、既に当今御進発の御沙汰仰
せ出だされ、尚御供は申し上ぐるに及ばず、諸家様方多分御通行之れ有り
候趣を以て、東海道神奈川宿より 御印状頂戴恐れ入り奉り、
併しながら相当の賃銭請け取り、人馬差し出し方の儀、宿方え示談を遂
げ申すべしとの義、承知畏み奉り候得共、追々右様の儀村々え押し移
り候ては前条御由緒の義も相立ち兼ね、殊更 御国恩相弁え積み立
て候金子も其の儘に相成り候次第に相心得、依りては差別無く当拾
四ヶ村一統、元和度御大切の御用相勤め候旧例骨随に徹し、挙て有り難
く仰伏奉り、大小の百姓申し合せ候金千両上金仕り聊
乍らも、右金道中筋御用途え御差し加えの義、偏えに願い上げ奉り候、
何卒 御慈悲を以て、逸々聞し召させらるる訳、右上納金の義御許容下
され置き、孰れの宿方えも助郷等御免除相成り、安穏に当拾四ヶ村永続
出来候様仰せ付けられ下され置き度、願い上げ奉り候、以上
江川太郎左衛門御代官所
倉橋惣三郎知行所
武州多摩郡木曽村
同御代官所
同知行所
同州同郡根岸村
須藤宗左衛門知行所
同州同郡森野村
田中一郎右衛門知行所
同州同郡原町田村
同御代官所
町野悌十郎
知行所
細井百助
同州同郡金森村
高井大和守
知行所
遠藤六郎右衛門
同州同郡高ヶ坂村
大久保矢九郎
知行所
井戸信八
同州同郡小川村
久留十左衛門
右 信八 知行所
三田治郎吉
同州同郡成瀬村
右 十左衛門知行所
同州同郡大谷村
同御代官所
右 十左衛門
知行所
神谷武右衛門
同州同郡本町田村
右 武右衛門知行所
同州同郡金井村
同御代官所
右 武右衛門知行所
同州同郡広袴村
石丸時太郎知行所
同州都筑郡奈良村
右
拾四ヶ村
小前村役人
右
太郎左衛門御代官所
木曽村
名主
元治元子年十一月 源右衛門
右
六郎右衛門知行分
高ヶ坂村
同
三右衛門
道中
御奉行所様