【解読文】
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乍恐以書付御願奉申上候
一御四給様御知行所武州多麻郡野津田村
惣百姓惣代を以乍恐 御四給様江一統御願奉申上候
当村方字福王寺溜井之儀者
御四給様入会之場所ニ而御田地七町余歩之
御用水ニ御座候処当百拾年以前宝永五子年
御地頭所多賀主税様御知行所之節溜井浚被
仰付御普請仕候其後享保六丑年より追々
御分郷ニ而 御四給様御知行所ニ相成候以後
是迄御普請無御座候尤年々百姓自普請
差加候得共自力ニ不及近年渇水仕難儀至極
仕候然所当四月中 冨田宮内様御内御役人中様
方当村江御廻村被遊候節右溜井御見分
被成下置候通リ谷合之場所ニ而泥砂押込
一面ニ埋リ葭蘆其外雑草等生立水溜
纔ニ相成年々御用水不足仕候殊ニ当年之儀者
近年ニも無之旱魃ニ而右水下違作仕既ニ
御訴申上田方御毛見も御願可申上候程之儀ニ
御座候此上ニも旱魃相続候得者畑成等ニも
御願可申上儀も難計奉存候ニ付無是非
一統御願奉申上候何卒 御四給様より猶又
御検分被成下置人足御扶持方并御普請
御仕法等御積リ立被成下溜井浚御普請被
仰付被下置候ハヽ七町余歩之場所以来渇水
不仕往々御年貢御上納も無恙相納候儀と
乍恐奉存候何分御慈悲を以御聞済之上
御見分之程偏ニ奉願上候以上
御知行所野津田村
文化十四丑年八月 百姓惣代兼
願人 百姓代 嘉右衛門
組頭惣代 万五郎
名主 三左衛門
冨田宮内知行所同村
百姓惣代
願人 百姓 忠左衛門
同 同断 同 源次郎
組頭惣代 又七
名主 清右衛門
由比長兵衛知行所同村
百姓惣代
願人 百姓 忠兵衛(印)
組頭 友次郎
名主 定右衛門
高井但馬守知行所同村
百姓惣代兼
願人 組頭 平七
名主 善兵衛
山口延治郎様
御内
御役人中様
右之通一統承知之上御願奉申上候処
相違無御座候以上
水下百姓 留次郎(印)
丑八月十三日 同 七郎右衛門(印)
同 勘右衛門(印)
同 与次右衛門(印)
同百姓代 嘉右衛門(印)
同 同 仁左衛門(印)
同 同 市郎右衛門(印)
同 組頭 五郎右衛門
同 同 源之丞(印)
百姓代 源兵衛
組頭 喜左衛門
同 万五郎(印)
村役人中
【読み下し文】
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恐れ乍ら書付を以て御願い申し上げ奉り候
一、御四給様御知行所武州多麻郡野津田村惣百姓惣代を以て恐れ乍ら
御四給様え一統御願い申し上げ奉り候、当村方字福王寺溜井の儀は
御四給様入会の場所にて、御田地七町余歩の御用水に御座候処、
当百拾年以前宝永五子年御地頭所多賀主税様御知行所の節、溜井浚い
仰せ付けられ御普請仕り候、其の後享保六丑年より追々御分郷にて
御四給様え御知行所のに相成り候以後、是迄御普請御座無く候、尤も
年々百姓自普請差し加え候得共自力に及ばず、近年渇水仕り難儀至
極仕り候、然る所当四月中冨田宮内様御内御役人中様方当村え
御廻村遊ばされ候節、右溜井御見分成し下し置かれ候通り、谷合の
場所にて泥砂押込み、一面に埋り、葭蘆其の外雑草等生い立ち、水溜
り纔に相成り、年々御用水不足仕り候、殊に当年の儀は近年にも之れ無
き旱魃にて、右水下違作仕り、既に御訴え申し上げ、田方御毛見も御願
い申し上ぐべく候程の儀に御座候、此の上にも旱魃相続き候得ば、
畑成等にも御願い申し上ぐべき儀も計り難く存じ奉り候に付き、是非無
く一統御願い申し上げ奉り候、何卒御四給様より猶又御検分成し下
し置かれ、人足御扶持方并びに御普請御仕法等御積り立て成し下され、
溜井浚い御普請仰せ付けられ下し置かれ候はば、七町余歩の場所以来
渇水仕らず、往々御年貢御上納も恙無く相納め候儀と恐れ乍ら存
じ奉り候、何分御慈悲を以て御聞き済みの上御見分の程偏に願い上
げ奉り候、以上
御知行所野津田村
文化十四丑年八月 百姓惣代兼
願人 百姓代 嘉右衛門
組頭惣代 万五郎
名主 三左衛門
冨田宮内知行所同村
百姓惣代
願人 百姓 忠左衛門
同 同断 同 源次郎
組頭惣代 又七
名主 清右衛門
由比長兵衛知行所同村
百姓惣代
願人 百姓 忠兵衛(印)
組頭 友次郎
名主 定右衛門
高井但馬守知行所同村
百姓惣代兼
願人 組頭 平七
名主 善兵衛
山口延治郎様
御内
御役人中様
右の通り一統承知の上御願い申し上げ奉り候処、
相違御座無く候、以上
水下百姓 留次郎(印)
丑八月十三日 同 七郎右衛門(印)
同 勘右衛門(印)
同 与次右衛門(印)
同百姓代 嘉右衛門(印)
同 同 仁左衛門(印)
同 同 市郎右衛門(印)
同 組頭 五郎右衛門
同 同 源之丞(印)
百姓代 源兵衛
組頭 喜左衛門
同 万五郎(印)
村役人中