分郷

 支配替えによって、ひとつの村が複数の領主の知行地となり、分割されることを分郷といいます。市域では、17世紀末から18世紀初めにかけて分郷される村が増えていきました。村では支配替えとなる百姓や百姓ごとの田畑屋敷の等級や面積などを記載した分郷帳を作成し、領地替えを話し合いによって決めました。また分郷後も村社会を維持するため村議定(村で守るべき決まりごと)が取り交わされたりしました。

史料
差出シ申相談究証文之事(当村分郷にて御知行所へ渡るにつき取り決め書上)差出シ申相談究証文之事(当村分郷にて御知行所へ渡るにつき取り決め書上)17世紀から18世紀初め、野津田村は一時的に旗本領となりますが、長い間幕府領でした。それが享保期になると、旗本の富田氏・山口氏・由比氏・高井氏の知行地となり、ひとつの村に複数の領主の知行地がある相給村となりました。村内の支配替えが行われる時、異なる領主の支配を受けても、できるだけ平等な役負担となるよう取り決めました。
相定申相談証文之事(御蔵入の分この度分郷にて御知行に渡すにつき諸事相談し鬮取で決める旨)相定申相談証文之事(御蔵入の分この度分郷にて御知行に渡すにつき諸事相談し鬮取で決める旨)分郷は新たに領主となる知行高に応じて行われますが、野津田村の場合、そのための寄合が華厳院で開かれました。話し合いにより、字(集落)ごとに振り分けがなされ、知行高の細かい分割はクジを引いて決められました。