野津田年代記

 主に寛永期(1624-1644)から寛保元(1741)年までの野津田村の出来事を中心に、編年体で記録した史料です。表題がないため、通称「野津田村年代記」と呼ばれています。甲本・乙本の2冊が現存しており、乙本は誤りの訂正や加筆補充などがみられることから下書きと考えられ、それに基づいて訂正・清書されたのが甲本と考えられます。筆者は不明ですが、記録終了時期から、河井又市清胤と推測されます。清胤は寛文12(1672)年に秀胤の長子として生まれ、元禄2(1689)年に家督を相続し、寛保2年に71才で亡くなりました。

史料
野津田村年代記・乙本(下書き)野津田村年代記・乙本(下書き)「野津田村年代記」2冊の内の1つ。巻子状で、天和期(1681-83)から寛保元年までの河井家と野津田村の出来事を中心に、編年体で記録されています。その内容は、通常の日記のように日々の出来事をつづったものではなく、同家に残された主要な出来事に関する史料を基づき、大まかな叙述となっています。
〔河井家家譜〕〔河井家家譜〕河井家の歴代当主の略歴をまとめたものです。小田原北条氏時代に野津田周辺を支配していた武藤家が豊臣氏の小田原攻めで討ち死にした後、河井越中守清正が養子に入って家を継ぎ、野津田村で中心的な役割を担ったことが記されています。清正以降6代目までの略歴が記されています。