助郷免除と由緒

 幕府によって整備された五街道をはじめとした全国的な交通網は、交通量の増加にともない、宿駅だけでは人馬をまかなえなくなり、近隣の地域に助郷役が課されました。度重なる助郷要求は村にとって大きな負担となり、負担を回避するため、これまで免除されていた理由を示し、助郷負担の免除および軽減を要求しました。

史料
乍恐以書付奉願上候(神奈川宿助郷差村に付免除願)乍恐以書付奉願上候(神奈川宿助郷差村に付免除願)木曽村ほか12か村は、元和3(1617)年、久能山に埋葬されていた徳川家康の遺櫃を日光へ移送する道中、木曽村通過の際、道路整備や人馬提供をしたことにより、他宿への助郷が免除されてきました。今回もこれを根拠に、神奈川宿への助郷免除願いを出ました。