武相困民党

 1884(明治17)年頃、大蔵卿松方正義のデフレ政策と増税の影響で、特に養蚕業を営む農家は多くの借金を抱え、返済の目途が立たない日々を送っていました。農民たちは、返済期限の延長や利息の軽減などの社会的配慮を求めます。一方、債権者は、株主を抱え、契約厳守を前提とした経営方針を持つ私立銀行や金貸会社でした。
 この時、経済活動の自由も前提とする自由民権の思想・論理では、困窮する農民たちを救うことは困難で、市域の民権家たちは苦悩しつつ、返済条件の緩和など仲裁活動に奔走しました。

史料
細野喜代四郎覚書細野喜代四郎覚書細野喜代四郎の活動記録で、後半に負債農民と銀行・金貸会社との間で奔走した細野の仲裁活動について記されています。「原町田分署ノ門前ナトハ、裸体放歌兵糧ヲ運搬□釜ヲ輸送シ、木曾八幡山ニ於テ勢揃シ」と、負債農民の姿が描かれています。
武相銀行創立規則武相銀行創立規則武相銀行創立時の規則です。武相銀行は、青木正太郎の父、勘次郎が中心になって立ち上げた金融会社です。1884(明治17)年に頭取の勘次郎が亡くなると、正太郎が跡を継いで頭取に就任しました。
『団団珍聞』456号『団団珍聞』456号「コン弓」(困窮)や「ヒン棒」(貧乏)、「ムテツ砲」(無鉄砲)などを手に、「蜂逢ふ子」(八王子)の「貸附城」に押しかける勢子(せこ)たちが描かれ、借金・貧困にあえぐ農民たちが冷笑の対象とされています。武相困民党事件をあつかった数少ない風刺画です。