兵士とその家族は異郷での死を覚悟し、地域社会は出征兵士を励まし、残された家族を扶助する仕組みや組織をつくります。また、戦争を直に体験した兵士、戦死もしくは凱旋した兵士を迎える地域も、兵士の「忠勇」や「忠魂」に価値を見いだし、個人と国家を結びつけることで状況を受け入れようとしました。こうした経験が、愛国心をもつ「国民」を創り上げていきました。
史料
中里好治 | 中里好治は成瀬村出身の青年で、1901(明治34)年に入隊しました。兵役3年目で満期予定だった1904年に日露戦争が開戦したため、9月に出征します。旅順攻略の決死隊(白襷隊)に選抜され、11月26日、松樹山で敵弾が頭部を貫通して戦死します。享年24でした。 | |
日露戦争従軍兵士の戦地での手記 | 戦地に渡り2か月を経ても戦闘に参加する機会のない中里は、心の葛藤をしたためています。村では秀才と賞賛された自分が、あとから来た兵士に先を越され、国のために何も貢献していないと悩み、この直後、中里は白襷隊に志願します。 | |
南村の忠魂碑建碑記念 | 日露戦争の終結から7年後の1912(明治45)年、南村では、村内の大字金森に忠魂碑が建立されました。揮毫は乃木希典です。碑に向かって右側、前列の2人目に細野喜代四郎がいます。 |