青年と青年会・青年団

 旧村単位で組織され活動してきた青年会は、1915(大正4)年の文部省訓令により、村単位で統合され、名称も青年団に統一されました。青年団は、1925年に設立された大日本連合青年団を頂点とする組織の末端に組み入れられ、従来の青年会は、青年団支部として活動することになりました。
 青年たちは、青年団での学習活動、運動会、奉仕活動を通して、社会にとって有益な青年になることを求められる一方、文芸など同人的な青年たちの活動も各地域で熱心に行われました。

史料
『文集』1号・『郷の光』3号『文集』1号・『郷の光』3号ともに下小山田で組織された青年会「郷友会」の機関誌です。市域の青年会は、政友会系の政治運動と不可分の関係にありましたが、郷友会は、大正期に政治からの中立をめざすべきだという意見が掲載されています。
忠生吟社第二回俳句会紀念忠生吟社第二回俳句会紀念忠生吟社は俳句結社で、紅潮社の薄井碧流、若林登、薄井若葉、野崎黙山ら、葭の笛社の田村治彦が参加していました。後列左から3人目のホトトギス同人篠原温亭を招いて開かれた俳句会の折、下小山田の大泉寺で撮影されました。
紅潮社の同人たち紅潮社の同人たち紅潮社は、大正期に小山田地区の文学好きな青年有志により結成され、1922(大正11)年には機関誌『紅潮』を発行しています。この写真は、1924(大正13)年1月に薄井忠治が札幌へ発つ日に淵野辺で撮影されました。
能ヶ谷青年団凌霄会員能ヶ谷青年団凌霄会員現在の鶴川第二小学校(能ヶ谷7丁目)から南西に下った辺りで撮影されました。立札には「凌霄会水田…」と書かれているのが読めます。凌霄会では稲の品種改良実験をしていたので、刈り入れのときの記念写真と思われます。
小野路青年会第壱回一夜講習会紀念小野路青年会第壱回一夜講習会紀念万松寺で行われた小野路青年会(鶴川村青年団小野路支部)の第1回一夜講習会記念写真です。小野路青年会は、小野路分教場を利用しての夜学校など、学習活動に熱心でした。
鶴川村青年団運動会の様子鶴川村青年団運動会の様子青年団では毎年、運動会が開催されました。これは鶴川村青年団の支部対抗競技会の写真と思われます。白い体操着を着た団員たちがグランドに直立で整列しています。会場には多くの観客が集まり、立錐の余地もありません。